将校と兵士: ナニカ違うんですか?

士官と兵卒

士官学校というのは士官を養成する学校である。何を今更、と思われる向きもあるだろうが、結構大事なポイントである。なぜかというと家族親族友人知人に軍人のいない普通の方々に士官と言っても意味がよくわかってらっしゃらないケースが多いからだ。わかってないということすら知らない場合が多い。

おおざっぱに説明すると、士官や将校(オフィサー)と呼ばれる人達は兵士の指揮と管理をします。ジャーマネですね。自分の固有の仕事もありますが、担当部署とそれについてくる部下のマネージメントも行います。書類仕事もあります。階級でいうと下から少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将、大将です。

その士官の部下たちはそれこそ土方から頭脳労働までいろいろな仕事をします。階級でいえば二等兵、一等兵、上等兵、兵長、伍長、軍曹、曹長、兵曹長、准尉など。
これらの階級にはさらにいろいろな区分名称があります。兵卒・下士官(小学生の低学年と高学年、みたいなもん)に准士官。下士官は士官とつきますが士官ではありません。准士官は特務士官とも呼ばれたりしますがこれも士官ではありません。長年いても士官にはなりません。

こうしてとてもややこしいので、このサイトでは独断と偏見と簡便を期して、士官の部下をまとめて「兵卒(エンリステッド)」と書いちゃってます。兵卒のなかでも階級が上の人達、つまり軍曹や曹長などの下士官も一緒くたに含めています。まとめるのなら下士官兵と呼ぶべきなのでしょうが、それだと准士官が入ってないし、士官という単語が入ってるのに士官じゃないし・・・。よくわかんないですよね。

つまり、会社勤めをしたこともなく会社員が知人にいない人間に課長とか部長とか言ってもどっちが上かよくわからないし職務内容も知らないし興味もない。ましてや本社の係長と下請けの社長のどちらが立場が強いのかなど考えたこともない。だから池井戸潤小説に驚愕する。それはむかしのわたしです。

同じレベルでアメリカの一般社会と軍関係の世界にはいまや日常的な接点がない。たぶん江戸時代のお侍さんと町人と同じくらい平行社会だろう。どっちが偉いとかいう話ではなく、住んでいる世界あるいは思考形式が違うのだ。たとえ同じ町内に住んでいても、だ。

第七艦隊司令?

先日も仕事で会った人が「まあ日本のかた?うちの娘の夫はいま第七艦隊を一手に任せられているんですよ!」えっ?さっき見せてもらった写真には随分とお若い方が写ってましたが???
よく聞いてみるとその若い兄ちゃんは実は軍人ですらなく、艦船がドックに帰ってきた時に乗り込んで修理する造船会社関係の人だった。若くても最近は日本語さえしゃべれれば日本支部でそれなりの責任者になることは珍しくない。だが話を聞けば聞くほど誤解の深さにめまいがした。お義母さんお義父さんは娘婿が乗組員への命令権を含めて第七艦隊すべてを牛耳る権限を持っていると信じて疑わない。もちろんそんな権限はない。軍の艦艇を仕切るのは軍である。まあ説明してもわかってもらえないと思い、自慢の息子を持って幸せなまま放置したけど。。。

1%の稀少種

アメリカの場合、第二次大戦当時は人口の一割くらいが現役の軍人だったのに対し、今では軍人は人口の1%に満たない。ムショに入ってる受刑者より少ない。予備役や軍属含めてもこの少なさ。これは一般の学校や職場などに働く普通の人が軍人と出会う機会が非常に少ないということである。下手したら学校の全生徒や企業の全従業員に聞いても軍人の知り合いがいないかもしれない。

しかもこの1%は各地の社会に均等に混ざっているわけではなく、基地の近くにまとめて住んでいたり、お父さんもおじいちゃんも軍人でお兄ちゃんもお嫁さんも軍関係者、知り合いもみんな軍人などと特定家庭に偏っている場合がある。
さらに言えばこの数字の中には20年以上勤め上げる人も含まれるわけで、4年かそこらで一般社会に返り咲く元軍人5人分の影響力を消費してますます一般人が軍人と出会う確率を下げる。
かろうじて生存中の元軍人まで数えれば6%くらいまでいくがその半数以上が60過ぎの老人で体験談は語りたがらない。最近戦地に行った人も普通はしゃべりたがらない。

大統領は軍歴必須にして欲しい

というわけでアメリカでも軍とは実際どんなことをしているのか一般人にはよくわからず、当然ながら士官と兵の区別がつかない人間が多数出現する。海外派兵などの決定をする政治家や大統領を含めて、である。ハッキリ言って怖い。最高指揮官である大統領が、自己の指揮する世界最大最強の戦闘組織がどう動くか体験で理解してないのはいくらなんでもマズいでしょう。

このように国民のほとんどは軍てなんなのかよく知らないけれどニュースなどで軍人が死んでいるのは報道される。アフガンとかイランイラクヨルダンなんてどのへんにあるのかもわからないし覚える気もないけれど、自分らがのほほんとしている間に同じ国民である誰かが死んじゃっているのだからちょっと負い目がある。ので必要以上に軍人を美化したり決して悪口は言えない雰囲気が蔓延することとなる。たとえ反戦論者といえどもベトナムの轍を踏むのはマズいというのはわかっているから軍人のトラウマを深くえぐるようなことはしない。できるような世論風潮でもない。妙な反動がこなければいいのだが。話がそれた。

兵士と将校の平行社会

えーと、士官と兵卒というのも平行社会なのです。学校という同じ建物で一緒に過ごしていても教師と生徒の行動原理と方向性がまったく違うように、兵隊さん達と士官はお仕事も立場もこれまた違うのです。まず、兵卒というのは生徒と同じく、言われたことをやります。命令に背くことは許されていません。だんだん勉強していくうちに高度なことがこなせるようになります。若いですから先生より頭の回転と習熟が速いかもしれません。
でも彼らがいくら年をとっても教師にはなりません。幼稚園の年長さんが年齢が上になったので自動的に小学一年生になれるのとはわけが違います。

もちろん生徒が将来教師になれないというわけではありませんが、教員免状をとる為には大学に行かねばならず、免状を取ったにしても実務につく為には年齢制限もあります。それとまったく同じように、軍曹だろうが曹長だろうが長年居たとか功績があったからといって自動的に少尉になったりしません。いくら生徒が教え上手でもある日突然教諭になったりしないですよね?このへんがよくわかってない人は多いようです。

日本だと叩き上げの社長が今でも実在しますし、ハリウッド映画でも最底辺の郵便物配達係のお兄ちゃんがCEOになるなんてのがありますが、そういうのは軍では映画になるくらいマレなのです。なんというか、走っている線路が違うわけです。しかもどこまで行っても線路が交差していません。兵卒から士官になろうというのは、山手線を走ってる電車を一両だけ広軌用に改造して外国に持っていこうというくらい違います。持っていって使えるかどうかもわからないわけです。

で、いくら頑張っても兵卒が士官になれないという点に反感を持たれる方もおられるようなのですが、そもそも士官になんかなりたくない人も多いわけで。それに指揮官は数が少なくていいわけです。サッカー選手全員が35歳過ぎに所属チームのコーチになったりしたら指導方針のインフレが起きてしまいます。また階級が上だから頭がいいとか(要領はいいかもしれない)偉いというわけでなくて、教師にもバカがおり、生徒にも天才がいるけれど立場が逆転しないのと同じく、兵卒と士官の違いは資質や能力というよりも車両が載っている線路の違いなのです。

銀座線にどれだけ乗っていても終点は浅草で、山の手線に乗るにはどこかで乗り換えをせねばなりません。階級もこれと一緒で、兵卒線の終点が士官線の始点となるわけではないのです。相互乗り入れで知らないうちに東急線や小田急線や京王線を走ってたということは軍の人事ではないのです。一度降りて別の切符を買う必要があります。説明出来ているかなあ?

兵士と将校:給与

こちらの給与チャートをご覧下さい。ここではE(兵卒)、W(特務士官)、O(将校)とそれぞれの職分に分かれています。各路線でどれだけの年数居座ると給料が上がるかが一目でわかるので、兵卒と士官は違う線路上を走っているというのがわかりやすいかも? だってせっかくE-1の二等兵から長年ご奉公してE-9の最先任超弩級上級マスター兵曹長ザ・グレ−トになれたのに、殉死もしてないのにむりやり昇進させられて士官のヒラ少尉さんになっちゃったら給料ダダ下がりですもん。おまけに士官としては一番下っ端だからまたぞろ働かされるのなんのって。

士官学校は士官製造所

さて、士官学校とはなんぞや。これはより良い士官を育成する為の施設です。ホームスクール育ちでもないかぎり誰でもみな学校教師とは長い付き合いですし仕事内容もなんとなくわかる。教える側の苦労やコツなどはともかく、何をするかはだいたい見て知っている。でも軍人というのはみんなが知らない世界、1%未満な訳です。ましてやその中でもとりわけ数の少ない指揮官で管理職の士官。どういう仕事かイチから教えないといけないので4年かけてじっくり若者を洗脳するわけです。

他にもパーティ大学を出て2ヶ月ちょっとの訓練で即席士官になる人や、それよりは多少ましとはいえフツーの4年制大学行きながら軍事っぽい勉強もし週末の訓練で士官になる方々がいます。生まれもっての資質はともかく、まず訓練時間が少なすぎる。それに最初から士官学校に行こうという人間とはどうしても心づもりが違う。だから最終的な指揮力も足りない場合が多いのです。他の大学出身者をバカにしてる、同じ士官なんだから能力も知識レベルも一緒、差別するな、などと言われるとびっくりします。いやだって実際違うし。。。例外はどこにでもありますのであげつらわれても困りますが。

妥当な例かどうかはわかりませんが、首相や知事などの要人を守る筋骨隆々なボディガードが、茶会での長時間の正座のあげく足が痺れて立てなかったら、それは仕事になりませんよね?彼らは格闘の達人かもしれませんが、この場合役に立たない。次からはたぶん対策を立てるであろうけれども次では遅いかもしれない。

とにかくどんな職種も長年やってればこその経験値というのが加わるわけです。士官学校に入れるのは若くても何らかの組織のリーダッシップに長けた経験者です。そのうえに軍隊に特化した傾向や対策を実地も含めて4年間みっちり自由時間もなく詰め込まれ、条件反射になるまで反復練習させられます。さらには立ち居振る舞いから夢見の善し悪しまで命令されても口答えさえ許されない最初の一年で部下側の辛さも教えてくれるのが士官学校なわけです。命令に反抗できない兵卒の気持ちがわからないと、命令する側に立った時に自らの権力に酔いしれて力を濫用するバカが必ず出現しますから。

もっとも重要な違いは士官学校では理想と倫理と道徳を本気で信じ、それが行動に出るようになるまで心と体に叩き込まれるということではないでしょうか。規則遵守なら日本人も負けていませんが、その規則が何のためにあるのかを考え、もし倫理にもとるのであればたとえそれが上官の命令でも盲目的に従わず、正しき行動をとれる鉄の意思を養うのがアメリカの士官学校です。ああなんと美しい心意気でしょうか。それで戦争に勝てるかどうかは別ですが。だけどほら、戦争中でも潔白を証明できる行動に徹しないとあとで吊るし上げられちゃう危険があるからね。軍だって士官(命令する力のある人間)はサイコパスではなく倫理的安全パイであって欲しいと願っているはず。

ですから最近まで危機意識のかけらもない大学生だったぽっと出の人と比べれば、士官学校で研鑽を積んだ人達の方が指揮官としての言動の切れとお国に奉公する真剣度が高いのは当たり前。基本的に士官候補生になるような人たちは真面目ですし正義を実行する気満々ですし卒業生ともなれば知識も指揮経験も多く、民間と比べれば不祥事やポカも少ないのですから、最近まで酒くらってスピード違反しまくりでもOKの一般人だった若者たちと一緒くたにされるのは悲しいわけです。まあ候補生にいないとはいいませんけど、OKじゃないどころか放校で民間人に戻されちゃいます。

たとえばいくら顔が似てるからって、夜中のホテルの廊下で工事現場並みの騒音源となる中華観光客と一緒にされたら悔しいでしょ日本人としては。そりゃ農協月へ行く、を地でいくおっさんを見かけたこともありますから一概には言えませんが、大多数の日本人は静かで素直でバカ正直で公共の場で他人に迷惑をかけないのも本当です。お願いだから会話デシベルの桁が違う国の人たちや声も態度もデカいアメリカ人以外の何者でもないアジア系と一緒くたにしないで!私たちはあそこまで騒がしくない!あれが日本人だと思われたらイヤぁああああっ!という魂の叫びが差別発言になるとは思えません。単なる素直な感想ではないでしょうか。

就職戦線異状なし

士官学校の候補生達は卒業と同時に少尉に任官されます。少尉から中尉になるのは大体一年半から2年以内。この間はおおむね職業関連の学校や訓練センターに行かされてます。先に現場を体験させてからの方が勉強が身になるんだけどねー、とみんな言うから真理なのでしょう。で、お仕事を始めて特に問題なければ4年目までには大尉。ここから先は必ずしも長く居たからといって昇進できるとは限らず、選抜のうえ審査を受けます。職種や上の人の覚えのめでたさならびにその時点での人員数や政治情勢でも変わってきますが、だいたい少佐まではほぼ全員なれるはずです。ピラミッドですから上に行くに従い人数は減ります。

7年目以降に少佐、12−15年ほどで中佐。大佐までなるには途中のどっかで大学院に行ってないと厳しい。その他にもやっておかねばならない職務などがあり、それらの審査基準を満たしていれば18年くらい。最短でも13年、一般に21−23年目あたりで大佐に昇進。するとすれば、ですが。そこから先は時の運。少なくとも大佐を3年やらないと上には行けません。

いつまでも居座れればいいのですが、2度ほど昇進チャンスを逃すと肩たたきが待っています。まあ叩かれるまでもなく将来の見込みのなさそうな人や軍が肌に合わない輩はまだ若く潰しのきくうちに自分から辞めていきます。最近は予算も減ったことだし、特殊技能者以外の早期退職は大歓迎です。どうせ一番よく働かされてるのは給料の安い中尉さん大尉さんあたりだし。

士官は必要?

よく任官したばっかの若い士官がどんだけアホで現場で足を引っ張るか、ひるがえって経験を積んだ軍曹などの下士官のほうががどれだけ上司であるところの士官より有能か、なんていう話をよく聞きます。別に間違ってませんが比べるのなら経験を積んだ年配の士官と下士官を比較すべきではないでしょうか。あるいはどちらも入ったばっかのを。

だって新任教師だって生徒がバカにしていじめるでしょ?教育実習生なんかだったら目も当てられないほどからかわれるよね?人によっては教職を諦めるくらいに。

それと同じで、そりゃ新入りはその職場においての経験値がありませんので実地の何をさせても最初から手慣れたさばきを見せるわけがありません。でもまともな教師ならそのうちからかわれなくなりますし、生徒の扱いに慣れてきます。並み以上の教師なら慕われるかもしれません。それと同じで若い新任士官も実力があればそのうち部下の尊敬や信頼を勝ち取れるようになります。
ならなきゃ下の人間が言うことを聞いてくれないので仕事が滞り、いずれ艦長や司令官のお怒りを買い、命令系統を下に伝って結局は自分に返ってきますのでやり方を変えねば針のむしろに座らされることとなります。やり方を覚えるというのはつまり何が大事で何がどうでもいいことかを学ぶということです。

理想と現実

例を挙げると、士官学校を出たりなんかしたひには身なりも完璧なら言葉遣いも簡潔かつ的確、頭の中もいまどきどこで誰に教わったのというくらい清廉潔白で輝く理想に燃えてたりします。当然現実の軍のどこかに配属されるとまわりじゅうがそりゃもういーかげんでテキトーなのが目についてしかたがない。服装はダレてるし靴なんか磨いたあともなければ定時ミーティングだというのに全員現れる時間がまちまち。たとえそれが一分以内でも士官学校の卒業生にとっては永遠かと思われる時の流れ。船ならどこもかしこも壊れていて直った試しがなく、訓練なんかいつもいつも理由をつけて先送りにされる始末。

ここで新任のB…若い士官はどうするか。よくありがちなのが仲間になろうとして部下にビールおごっちゃう。仲良くなれば信頼され働いてくれるだろうと。あるいは完全に優先順序を間違えて「身なりをきちんとしろ」などと3ヵ月くらいうるさく言いつのるわけです。まあそのくらいのお願いは聞いてくれますよ、みんな。でも担当の部署の兵装システムやらソナーやらレーダーがぶっ壊れたままだとしましょう。当然艦長は激怒します。部だの課だのの責任者を導火線のように怒りの炎が伝わってきて最終的に火だるまになるのは一番下っ端の責任者、「士官」であるところの新任者です。縦割組織の下っ端はツライ。

で、やっと気がつくのです。あー、靴なんて磨いてなくてもいい。そんなこたあ二の次だ。まずなにがなんでも自己の管轄下の故障を直さねば。そのためには自分の命令を部下にきかせられるようにならねばならない。つまり部下とお友達になるのをやめて厳しく有無を言わせぬクソ野郎になってはじめて仕事ができる、あいつは物事を成し遂げると一目置かれるようになるわけです。上からも下からも。

役に立つ士官への変貌

一度やり方を飲み込んでしまえばあとは楽です。部下にできることとできないことの見定めさえつけばいいのですから。大抵の仕事はできないのではなくやらないだけだと理解できるかどうかがカギ。問題がある場合はできるようになるまで訓練したり新たな運営システムを内部構築。全部自分でやろうとリキんだり、部下に無理難題を吹っかけさえしなければどんどん士官としての能力が身に付いてきます。そのうち権限も身に付いてきて、他の部署まで巻き込んでバリバリに管理職の才能を発揮したりする人も出てくるでしょう。

あげく全艦をあげた訓練を日常的に開催しまくって全員に嫌われながらも一艦だけなぜかいつ戦争があっても大丈夫なくらいに準備万端になってたりします。あるいは上の人のムチャぶりをダムのようにせき止めて部下が仕事しやすい環境を守り抜く中間管理職が。そういう士官はちゃんと実在しますので、単に同じ年数軍に在籍した同士で士官と兵卒の職務遂行レベルを比べたら「士官は役立たずのバカばっか」という仮説は通用しなくなるはずです。入ったばかりの兵卒の無知さ加減と比べたら、士官学校出の心得違いなんか可愛いもんです。

でもそれを誰も言わないのは、士官はたとえ少尉でも与えられた部署をどう管理し何をするか自分で考えて行動しなければならないし、指揮統率と采配ができて当然、できなきゃクズだと考えられているからです。入りたての二等兵がやっていけるのは先輩の言うことを聞いて黙々と教わったことに集中すればなんとか日々を過ごせるから。自分で考える必要なんかありません。期待されるレベルが段違い。でもそれでいいのです。役割が違うのですから。

士官は部下にただ命令するだけではなく職務上の指導もし、時には生活面での面倒も見なくてはなりません。たとえば疑うことを知らないハゲデブ伍長がアメリカ市民権目当ての外国人ハゲタカ超絶美女と知り合って3時間後に結婚しないよう士官の許可を取らねば婚姻手続きが出来ないようになっていたり、あるいは軍曹がアル中寸前であればまだ取り返しのつくうちにリハビリセンターに送り込み、曹長が離婚されかかっていれば船から降ろして妻子との時間が増えるようにするのまで士官の仕事です。こんなんまだ楽なほうだからね言っとくけど。

例えば船の上甲板のお片づけ係・甲板部第一課。ここは新入りとでくの坊と問題児の集まり。お掃除やペンキ塗りから始まってすることはたんまりあるので人員が多い。甲板作業に頭脳はあまり必要ないので危ないのはここに放り込む。が、範囲が広く目立つ場所であるため衆目を集め易い。管理を任される士官にとっては痛し痒し。暗号解読係なんかはどこぞの暗い穴に籠ってるからちょっとくらい変な奴でも人目を引かないで済むんだけど。

とにかく甲板士官として多くの部下をまとめ複数の課を運営するファーストルテナント(階級じゃなくて職名)はわりと下っ端の士官なのだ。夜泣きのひどい赤ん坊育てるのと同じで若さで乗り切るしかない。新兵に混じるアメリカの底辺層の若者の想定外な行動をみくびったら泣かされるだけじゃ済まない。けっこう大変なのよ新任士官も。上からも下からも「歓迎」されちゃうしね。

仲良しこよし厳禁

あとそれから、ビールおごっちゃう云々について。

よく映画やドラマで兵士と士官が一緒に同じ酒場で飲んでたりするけどウソです。基地の中でも士官(オフィサー)専用の食堂や将校クラブがあり、兵卒(エンリステッド)はこれまた専用のディスコで踊りまくってたりします。兵卒のお友達のエスコート付きなら私服の士官が兵卒用のディスコに潜り込んだり(そっちの方が面白いから)もできますが、そんな面倒なことしないでも六本木あたりに繰り出せばいいのでわざわざお忍びなどはしません。お外でもばったり出会えば上官と部下としての挨拶くらいはしますがそそくさと別の店に移動。テーブルが離れていれば同じ酒場でもいいというものではありません。だいたいどちらかが河岸を変えるでしょう。

時々間違えて過剰な仲間意識を持とうとしたり部下に酒おごったりする若い士官もいるが、世の中のお父さんお母さん教師インストラクターの皆様もご存知の通り、ものには限度がある。なめられたら終り。そしてなあなあの仲になるのはもっと良くない。何しろ上の人はコロコロ入れ替わるのだ。前の誰それはこうだったとか言われて次の上官がやりにくくなることがあってはいけない。

既得権が消えるとムカつくのが人間。貰う権利などどこにもないお小遣いだって同級生と同額かそれ以上じゃないと文句垂れるでしょ子供だって。減らしたりしたらどんな反抗に遭うか。兵士だって同じです。それにね、まだ21歳じゃない部下達にビール1ケースなんてあげてもしょうがないんだよね。アイスクリーム券にしてくれりゃいいのに、気が利かないなあ。これだから新任士官は…。

恋愛コーチ参上

こうして試行錯誤ののち大半の士官は効率的な指揮を会得するわけですが、勘違いしたまま方法論の変更に至らないでいると指揮官としてはうまくいかないので肩を叩かれる未来がほの見えてくる。なので年季明けの5年でとっととやめて転身しようとする士官も出てくる。たいていは前職に関連する固い仕事を始めるが、なかには変わり種も。

その中でも一番しょーもな!と思ったのが恋愛指南。そりゃまあ海軍士官だったわけですし世間のイメージ*的には軟派なので客はつくかもしれませんし、彼の場合世間一般にアドバイスをしてお金をもらうところまでいけたようなのでそれなりに経験を積んだ男だったのでしょうが、曲がりなりにもアナポリス海軍兵学校をでておいてそれはないだろうよ、と最初は思いました。恥ずかしいからやめろ、と。

彼の初期のデートコーチングサイトに散りばめてあったストックフォトも微妙にやらしい雰囲気を醸し出していたのでマジかこいつ、いったいなにをどこまで指南する気だ学校名出すな、と呆れたのは早計というものでありました。出版予定の本の目次を見てひと安心。なにしろ第一章のトッパナが「男性との関係がうまくいかないとしたら問題は貴女にあります」えっ?

喧嘩売ります

おいおい、こういう本買うのほとんど女性だろ?いきなり購買層の中枢神経逆なで切りしてどうすんだ。さすが士官学校でバカ正直に本音しか言わないよう鍛えられただけのことはある。どの章も(対アメリカ人女性)正論ばかりである。この本は絶対売れない。たまに彼女に読ませようとするバカな男に売れてもその彼女に読んでもらえなかったあげく男がフラれるだけであろう。しかして士官学校の名誉も保たれるというものである。めでたしめでたし。


* 世間のイメージ=真夏なのになぜか白の礼装でそこらのリゾートホテルあたりに出没し、あっという間に美女といいコトしちゃいはじめるのがトム・クルーズの元妻の妄想に出てきたりする海軍士官。まあ一応憧れのエロカッコいい存在が士官で、タトゥー入れて飲んだくれてるのが兵士だということで手打ちにしときましょうか。。。