ウエストポイント陸軍士官学校: 親が子供を入れたい学校

ウエストポイント陸軍士官学校投資部のウォール街訪問記念写真

 アメリカでは士官学校へ子供をやるのはステータスだ。アイビーリーグやスタンフォードに入学できたのと同じくらい自慢できる。卒業したら軍の士官になるのだから戦地に赴くこともあるわけだが、そのリスクを冒しても親が子供を行かせたい学校のひとつ。そもそも普通の大学に行く方が圧倒的に薬物中毒になったり飲酒運転で事故る確率高いだろうし。ハーバード卒業目前に酩酊状態で道を渡ろうとしてなぜか港に落ちたりするんだから人生はわからない。

ウエストポイントで帆船の出航準備をする姉妹最近軍人さんありがとうムードがなぜか濃厚
ベトナムで懲りたともいう

 米国では国家や社会に奉仕し国民を守るというのは美徳であり、たとえ戦争が嫌いでも軍人を批判するのはかなりイカレた奴だ。軍人さんは議会政府の命令を遂行しているのであり、軍の最高指揮官は大統領だ。選挙で大統領や政治家を選んだ自分たちが軍人を結果論で責めるのはよくないとは一般人も理解している。
 まともな軍備がなければ近隣の国にひどい目に遭わされたり植民地にされかねない。軍や戦争を嫌いだと言える言論の自由は、強い軍隊が守ってくれている民主国家に住んでいる人達だけの権利なのだ。そのうちの誰かが義務を負わねばならない。

だからリムジンリベラルの金持ちであろうとガチ左翼の知識層であろうと士官学校に行く能力のある子供がいたらそれは自慢の種。逆にウエストポイントやアナポリスなどの士官学校の名前を知らなかったり、兵隊さんのブートキャンプと士官学校の区別がつかないと、自分の成績が悪かった(進学に縁がなかった上に一般常識に欠けている)と告白しているようなものだ。まあ最近はWWIIの生き残りも減って来たので兵と士官の区別がつかない人間の絶対数はアメリカでも増えてるけどね。親がヒッピーとか。御愁傷様です。

ウエストポイント陸軍士官学校の部活動で弦楽四重奏清く正しく美しく 持つのは銃ばかりではありません

ではなんでそんなに士官学校に子供をやりたがるのか。ノブレスオブリージュ? それならハーバードだってオックスフォードだって構わないじゃないか。むしろ一般にはそのほうがとおりが良いだろう。大学を終えて政治家や大企業のCEOにでもなればいい。寄付した金で名前のついた病院や図書館が建つ。
だが親心とすれば、授業料も生活費も浮く上に生活態度が乱れていない環境はいまどき値千金。普通の大学生のようにパーティ三昧でビール頭から浴びて泥酔しゲロの隣でザコ寝から目覚め、冷えきったピザの食い残しを朝飯代わりに齧り温いビールで流し込んだあの旨さが忘れられない、などという不摂生とは金輪際無縁である。普通の大学に通ったことのある親なら、子供に同じ轍を踏ませたくないと考えても不思議はない。

ウエストポイント俯瞰ショット建物が白く見えますが幻覚です。全部灰色です

例えばウエストポイント陸軍士官学校。立地をみるがいい。まわりに何もない。遊興施設どころか街*もない。州立公園と大河に囲まれた陸の孤島。川に面した断崖絶壁の砦がこの陸軍士官学校の前身であるから周りを開発しようにも地形的に無理がある。
 構内はゴシック様式の質実剛健且つ暗く重い石造りの建物に囲まれ、風光明媚で名を馳せるハドソン河畔のキャンパスといえば聞こえは良いが、散歩しようにもあちこちに置かれた堅く冷たい御影石のベンチに地味〜な標語が墓石のごとく刻まれているのが嫌でも目に入るのでは夢想すら阻まれる。どう考えても清く正しく美しく勉学に励むより他にない環境。完璧だ。

ウエストポイント校内セイヤー通りの建物群木枯らしの似合うウエストポイントの建物群

普通の大学になんか行かせなくて本当に良かった。毎年600万円かかるもんね、アイビーリーグ。士官学校なら学費も寄付もいらず給料と就職先まで貰えて生活態度が改まる。親としては万々歳。でも、士官学校に受かるような生徒は元々タイプAが多いし、改めるまでもなくダラけた奴はいないんだがまあいいか。
参考までに入学者の履歴・成績と背景をこちらにまとめました。陸海空士官学校の倍率は白人男子で毎年16倍前後。2012年の海軍兵学校は20倍超。

と、ここまでは大昔に書いた草稿である。だがしかし。今回なんと公式取材敢行。なので真面目にウエストポイントの話をさせて頂きます。実を言うとまわりが面白がって勝手に連絡し強引に取材許可を取り付けたのであって私が陸軍の皆さんの貴重なお時間を無駄にしようと画策したのではないことをここに明記致します。日本人はそこまで図々しくありません。Go Army!

ウエストポイントの士官候補生

 ついでにいうとこんな地味サイトをお読みいただいてるのはどうも一般の方ではないらしく、広報にはなり得ないようです。なんかアクセスのあった地域が微妙に軍関係な気がするんですが、それってやはり検索ワードが普通人の想像の範囲外ってことだよな。戦場のヴァルキュリアとか王立士官学校ってあちこちに書いとくか。あと何だ、海軍本部とか海軍大将とか赤青黄の犬キジ猿かな。ワンピースも最近読んでないが。それともあれか、横須賀の海軍カレーの話で1ページ埋めりゃいいのか?食べたことないしそもそも横須賀に駅が二つあるの知らなくて道に迷った人間が書ける内容ではないな…。ドライドックとクレーンの話じゃダメ?

さて、ウエストポイント陸軍士官学校について書くのであれば、本来ならその校風に従い真面目に徹した文章で賛美すべきなのだがなにぶん書いてる人間の性分がおちゃらけである。しかも上のイントロはウエストポイントについて語り始めるのにぴったりではないか。混ぜて書いちゃえ。

氷壁を登る士官候補生こういう温度だったあの日

それは1月の晴れた朝だった。北米に異常寒波の襲来したその日、私は懐かしいウエストポイントにいた。凍てついたハドソン川が厚い氷の下でゆっくりと動き、きしみ、割れて重なりあった氷を押し流している。吹き抜ける風が喉笛を掻き切られた獣のような悲鳴を上げていた。

(バス一台分の中国本土人高校生観光客**以外には)人気の絶えた構内だというのに駐車スペースが見つからない。途中で乗り捨てて歩けというのはブラフではなかったらしい。だが車の外に数秒出ただけで手がかじかむこの極寒の中、歩いても歩いても広報事務所の入口の場所を聞く相手が見つからない。

ウエストポイントの図書館のエントランスウエストポイントの図書館エントランス

こうなったら之の字運動で建物間を移動し寒風を凌ぐ他あるまい。訪問時間が決まっているわけではない。手近の図書館で暖まる。新築でありながら既存の建物に合わせた地味な内装と無駄を抑えた敷地面積。なんと堅実な校風であろう。最初は空軍みたいな建築にする予定だったというが、本当にやめといてよかったね。図書館を後にし、次の建物を目指す。この訪問は報道関係者風の出で立ちでと思ったのに寒波のせいで南極越冬隊仕様に急遽変更したというのに、それでも辛い。昼のフォーメーションは寒さのため楽隊なし。金管楽器とクチビルの癒着を防ぐ為だ。ずっと南にある某兵学校では冬中屋内でやるんだけど…。

ウエストポイントへの交換留学生屋外で無帽とは貴様それでも海軍士官候補生か!
と憤って望遠レンズで見たら制服が違った。海外の交換留学生なら仕方ないやアハハ、などと温々の図書館の
窓から眺めていたあの時間を元に戻して神様

そうして紆余曲折、遂に目的地(暖房完備)を発見した喜びに本心から「今日は寒いですね」という激しく日本人的な挨拶をしてしまう。
「…そうですか。そういえばアナポリスでは寮にエアコンを入れたそうですな」うわぁぁああ言わんでくれ恥ずかしい。
「お話をさせようと1230から生徒を待機させてたんですが、授業があるので下がらせましてね。おい、連絡は取れないのか?」「今メールしてるんですけど、所在が掴めませんわ」
ちょ、ちょっと待ったー! 呼ばなくていい! 1230て昼食時間じゃん。飯食わんで待っとったんかい! つか生徒は忙しいから時間無駄にさせたくないからインタビューとか無理って言ってたじゃん! こっちもわざわざ誰か呼んだりしなくていいからって言ったよね? 何時に来いっていうような話全然なかったよ?! だってメールの返事「じゃ当日」って英単語4個だったじゃん!
「そんな申し訳ないぜひ呼ばないで下さいお願いしま・・」「ただ今参りましたー!」
振り向くと、物置かと思っていた謎の通路から突如青年が現れた。その胸に燦然と輝く5本線。ヤバ過ぎる。

ウエストポイント卒業生5本線はこの倍くらい派手

支給品の黒ぶちメガネを外すと急に筋肉量が2倍に増えハンサム度が200倍アップしたパツキンの士官候補生マット君。ラウンジでゆったり座ってお話ししたらどうか、という意見にこちらは乗りたかったが(どうせならまわりに大人がいない方が正直な話が聞ける)黒髪の美女職員がしきりに時間がないから手短に、と釘を指すなか、素直な青年は事務所の簡易椅子での対話を選んだ。

どうしよう録音機もメモも車において来ちゃったよ。広報のおっちゃんとちょっと話ができれば御の字と高をくくっていた自分が不用意であった。陸軍の方々はどこまでも真面目であった。が、録音機は人の口を重くするし、メモも心理的にうまくないので携帯で内緒で録音が一番なのだが、いかにも用意してませんというこの風情。カッコつかねーことおびただしい。
 こんな羽目に陥ったのもあいつらが勝手に、と自分の不備を棚に上げておちゃらけた海軍士官学校出の連中を恨みながら泣く泣く質問を開始。まずその5本線。なんと倫理委員だった。
普通の最上級生はたった一本しか金線を貰えず、士官学校の在校生全てを束ねる最高階級のただ一人の司令官相当でも6本である。模範士官候補生。良心の塊。Lv.99くらいのモラルの使い手。ごめん、こんな汚れた大人になっちゃいけないよ。

しかしさすがは軍の広報部。どこのウマの骨ともわからぬ輩への対応にいきなり秘蔵っ子をぶつけてきた。戦力の逐次投入はろくな結果にならないのをご存知である。特にマスゴミへの対応を誤ると何書かれるか知れたもんじゃないからな。まず最初は出来ないと渋っておいて、でもあなたの為に融通しましたと現場でデレて感謝を呼ぶ素晴らしい戦略。逆だったら印象悪いもんね。道理で大学紹介番組の進行役のお姉さんが常になく本気で嬉しそうだったと思ったよ。
さあ、それでは歴史ある米国陸軍士官学校の紹介をしていこう。

ウエストポイントのチャペル卒業式直後は結婚式ラッシュの礼拝堂

ウエストポイント陸軍士官学校は2002年に創立200周年を迎えた。合衆国初の工学校でもある。創立時は独立戦争当時の拠点のひとつであった。1778年から一度も途切れることなく米国領の陸軍施設はここだけ。この場所はまさにアメリカの歴史を刻んで来たのだ。最初は教師10人生徒5人から始まったこの士官養成所も今では士官候補生4000人を抱える大所帯となり、数々の歴史的人物を輩出している。グラント将軍、リー将軍、パットン将軍。マッカーサー元帥、アイゼンハワー大統領、 ”バズ”・オルドリンとエド・ホワイト宇宙飛行士・・・


いかんいかん。たったこれだけ真面目な事を書いただけで眠くなって来た。何が言いたいかというとウエストポイント陸軍士官学校の生徒がどれほどきちんとした人間であるかをいろんな角度から世間に伝えたいのである。

ウエストポイントのパレード

 まず勉強出来る子ばかりが集まる士官学校でそれなりの成績を保つには日々の真面目な努力が必要である。また毎日運動部活動に参加しなくてはならないので体力も必要。体育の時間ももちろんあるし、毎学期の体力テストに受からなければ退学である。学力試験や課題提出も厳しく、留年は出来ないので健康管理も重要。軍事技術や統率者理論も学ばねばならない。学校の行事は無論の事、毎日のフォーメーションやいろいろな当番、役職をこなさねばならない。

ウエストポイントの制服の色の説明歴史を感じさせる制服は黒色火薬にちなんだ色
木炭の黒・硝石の灰色、硫黄の黄を表す

貴重な自由時間も好き勝手は許されない。門限あり。下級生は車の運転すら不可。飲酒が見つかっただけで100時間の行進。飲酒した事実を認めず隠そうとした場合は倫理査問委員会の前に立たされる。飲酒運転は即放校。
 ちょっと普通の大学生と比較してみて欲しい。工学部など今では大抵5年かけて卒業する所を士官学校では4年で履修し、しかもその他の全ての行事・集会・部活動・種々の訓練に参加し夏休みも軍事訓練などに大半を費やして、そのうえ卒業したら国民の自由を守る為に命を捧げる覚悟の若者達である。人生に対する姿勢と真剣さがそれこそ段違い。

だから士官学校を卒業出来た者は皆自信と自負を持っているし、社会をより良くする為の努力を惜しまず、問題があれば自ら解決しようとする。いつも誰かのせいにしたり社会が悪いからなどと言う他力本願の人間達とは完全に対極にいる人種である。
これら若く健康で有能、決断力に富み道徳観を備えた存在がどれほど頼もしい社会の一員となるかは論を待たないであろう。各士官学校から毎年千人ずつしか輩出されないのが残念なくらいだ。何かあったとき安心して頼れる相手がまわりにいるというのは幸運である。自分がなるのが一番いいのだが、次点で息子や娘がなってくれればこんなに喜ばしい事はない。

トロフィーポイント、ニューヨーク州トロフィーポイントの眺め:冬

ウエストポイントのキャンパス(陸軍士官学校ではポストと呼ばれる)は美しい。まずゲートを入ってすぐの小川のせせらぎはまるで和風庭園。単なる排水溝かもしれないが自然の山の清水のようで効果満点。それを辿っていくと風情のある貯水池に到着する。19世紀の絵葉書風。向かいがフットボールスタジアムであるが、これまた傾斜地を上手に利用して内部の様子が周囲からよく見え、いかにも楽しく観戦出来そうだ。屋根にSINK NAVYとでっかく書いてあるのもお約束。来年こそ勝ってくれるよう心から祈る。

建物の屋根に書かれた文字ベタなお約束:裏側はBEAT AIR FORCE

 ハドソン川の方に行けば、入り組んだ河畔が名画のよう。トロフィーポイントと呼ばれる場所からの眺めは100万ドルの眺望と喧伝されている。夏であればどんなにか美しいであろう河のほとりの一角には、カデット達が本命の相手を連れて行きキス出来なければ崩れて二人を押し潰すという伝説の岩があるそうだ。まあ既にキス済みでなければわざわざこんな所まで来ない気もするが。とにかくランドスケープデザイン的にはなかなか面白い。リー将軍曰く「私の訪れたどこよりも最もロマンティックな場所」。

秋のウエストポイント陸軍士官学校の教会と食堂牢獄 教会と食堂。暗いよ寒いよ怖いよ〜!

こんなウエストポイントであるから、夏に学校説明会に来ればなんて素敵な所♡と親御さん達も一目惚れするだろう。だが真冬に来てみろ。空も建物も制服も全部灰色。建物も古風に統一され過ぎ…いや統一はいいのだが様式が重い。写真ではわからないが威圧感と圧迫感と閉塞感を満喫できる。昔コンペでギリシャ風にするかゴシックにするか争って結局ゴスに決まったらしいが、グリーク・リバイバル・スタイルなら白に円柱だからずいぶん雰囲気が和らいだろうに。

Unite 364 days,rival for 1 day364日同志、1日ライバル…信じてもいいですか?

あんな灰色の堅牢な城塞に4年間も幽閉されていては鉄の意志を持った人間にならざるを得ず、アナポリスのようにチャラい人材が出るわけもない。寮(バラックと呼ばれる)も各棟がつながっているわけではないのでどこへ行くにも一度吹きさらしの校庭に出ないとならない。要塞なら秘密の地下通路でつながっていても良さそうなものだ。プリーブだけ使用禁止にすればいい。アナポリスなんか寮と各校舎は地下道でつながってるし、地上でも屋根付き回廊があるしで雨でも嵐でも濡れずにどこにでも行けるんだぜ。…何かこう、軟弱さが身に染みて恥ずかしいです申し訳ございません。

障害物を超える兵士そういえば若い頃は寒くなかったような気も…

それでも自主的に戸外でランニングしたり丸太担いだり高い壁の効率的な登り方を幾通りも試したりしている生徒達。大丈夫かい、半端なく寒いんだけど今日。え、老人には余計寒さがこたえる?そうかも知れないが、最果ての北の国から来たんだが、今日ほんっとに凍えるよ? それなのにバラックを見上げれば窓の開いている部屋があちこちに!
これでよくわかった。アナポリスの夏に対し、ウエストポイントの冬が未来の指揮官達を厳しく育んでいるのだ。まさか暖房が効き過ぎて外気入れてるとか言うなよ。

陸軍士官学校の寮陸軍士官学校で「バラック」と呼ばれる学生寮

 夏だって古い建物は窓がなくて昔はそこに100人からの生徒が詰め込まれて勉強してたんだぞ、エアコン完備のアナポリスとは鍛錬の度合いが違う、といわれるかもしれない。だがアナポリスの猛暑はまさに日本並み。エアコン無しでは到底眠れず、汗だくになって寝返りを打つもののどうにもならず、夜中3時を過ぎて遂に日中の運動の疲れから眠りに落ちるも目覚めると全身ぐっしょりで、疲労がまったく取れていない。これが連日連夜続く。日本人なら覚えがあろう。

 もうこのへんになると我慢大会の様相を示してくる。どっちが耐えざるを耐えているかという勝負。もっとも熱帯夜に寮で寝なくてはならないのはプリーブサマーだけなので、エアコンなど入れずとも良いはずなのだ。情けないったらない。戦地がいつも冷房完備とは限らない。そのくらいで音をあげる奴はとっととやめた方が身の為だ。それとも「昔はxxなんかなかった」なんて言うのは老いた証拠?

ウエストポイントの時計塔朝日を浴び聳え立つ時計塔
鋸壁から火矢や弾が飛んで来そうな佇まい

ウエストポイント陸軍士官学校は米国公立の5士官学校のうちでも最も有名だ。アナポリスと言われて「ハァ?」とくる奴でもウエストポイントなら知っているはずだ。最も堅く誠実な士官を育成する機関というイメージ。そしてその期待に違わず厳しい規律をもって対応している。飲酒が見つかっただけで100時間行進***なんてアナポリスと比べたらびっくりする厳しさだ。100時間?! 思わず聞き返してしまった。つい飲んでませんと口走ってしまいそうだ。酒で論理的思考がオフになっていればなおさらだ。すいません軟弱で。

ウエストポイントの倫理規範の碑中隊長さん達の集会・飲酒も取り締まります

しかしアナポリス海軍士官学校は飲酒率の低いことでは全米第3位なのだ。第1位は酒を飲まないモルモン教徒が大部分(推定)のユタ州ブリガムヤング大学、2位がイリノイ州ウィートン大学、こちらもキリスト教系。いやーてっきりウエストポイントと空軍士官学校が1位2位かと思ったよ。
これは一体どうしたことか。今回客観的にウエストポイントを見てなんとなくわかった。まわりに何もないので遊びの種類が限られるのだ。たぶん酒を飲むくらいしかすることがない。寒いし(そればっかし)。
ちなみにアナポリスはドラッグ使用率も低い(当たり前だ)が、ウエストポイントよりひとつ上だった。空軍より3つ上の全米5位。そんな下なの?どこ調べ??民間大学で尿検査すんのかよ。とっても疑問。まあね、成績ですら自己申告制の大学あるしね、UCバークレーとか。ぁたしゎA+だと(*´∇`)思いマス♪゚*。:゚+( ノ∀`)ポッ.+゚*。:゚

ウエストポイントの結婚式遊ぶところがないのでつい早まって結婚してしまいます

アナポリスはまわりにいくらでも遊ぶところがあるし、車があればDCやボルティモアに行くにもさほど時間はかからない。もし下級生で友人家族や上級生、スポンサー****にどこかに連れて行ってもらうのであれば当然目撃されるので規則違反は出来ない。上級生でも帰りも運転するなら飲酒出来ないし、最低でも指定運転手*****を連れて行かねばならない。しかも週末には外出から帰って来た士官候補生に対し酒気検知器でテストが行われる。

おかげで必死でその日どこの隊がテスト対象かメールで同級生に聞く奴が増えたという。このランダムテストの導入によりかなり酒気帯びの問題が減ったようだ。ご近所のメリーランド大学は堂々全米第16位の御立派なパーティー大学だというのに、なんでこんな厳しい学校に入ってしまったのか。後悔先に立たず。だけどね、アメリカの飲酒解禁年齢は21歳だからほとんどの大学生は酒飲んじゃいかんはずなのだよ。

 昔はこの年齢が州ごとに違ったので、隣の州に行けば18歳で合法的に飲酒可能などという場合もあったが、それでも士官学校の学生は校内はもちろん外でも飲んではいけない状況がほとんどであった。休暇中、家族と私服でレストランに行ってワインを少々、などというのはともかく。

ウエストポイントの倫理規範の碑心を映すかのように磨き込まれた碑

ウエストポイントの倫理規範は厳しい。倫理規定に抵触するというのは単なる規則違反のことではない。名誉を汚す行動をしたかどうかが問題なのだ。簡単にいえば、嘘をついたり騙したり他人の著作を盗用したり他の人の努力の成果を自分のものにしたりする行為を禁止するものだ。そしてこのような行為を知りながら看過したまわりの人間も処罰の対象となる。この最後の部分は70年代に付け加えられた。ジョディ・フォスターの「告発の行方」とテーマが似ている。しかし同期をチクるのは勇気がいる。24時間以内に告発しないと同罪。陸軍ご自慢の忠誠心や同志の絆と、倫理規範を天秤にかけるのはキツい。だが恥ずかしい行為をした人間は去れ、と皆が思うようなことをしでかしたのなら仕方ないだろう。つか早く自白しないと犠牲者が増大する。自分がされたくないことは他人にするな。パラフレーズがいつもユルくてすいません。

ウエストポイントの事務所道徳観念の薄い人(私)が通るとこの門が落ちて潰されるという伝説があっても不思議ではない雰囲気
ちなみに広報事務所はこの辺

ウエストポイントでは問題行動のうち年間50件程度が倫理規定に違反した疑いをかけられ、約30件が倫理委員会の査問を受けるという。候補生と士官からなる9名の委員の過半数が倫理違反であると認めれば退学。3・4年生であれば兵卒として2年の兵役が科せられることも。退学となるのは年平均5~10人ほど。

大昔は退学の替わりにハブにされたこともある。卒業まで完全無視。アメリカ人にとっては大変厳しい刑。大抵はそれを聞いた途端自主的に辞めるが、過去に我慢し通して卒業した者もいる。そのエピソードが道徳の教科書に載ってたが詳細を覚えていない。ともあれこれはかなり昔の話で、今は生徒が四千人もいるので無視しようにもそいつの顔なんか全員が覚えていられるはずもなく廃止されている。

1マイル地点の標識

どんなことが倫理にもとるのか。飲酒がバレたとする。素直に認めればペナルティ消化で済む。だが飲んでいないと嘘をついたら査問会送り。
体力テストの2マイル走で、折り返しをはしょってそのぶんゆっくり走り、いかにもありそうなタイムでゴールしたりするのも倫理違反。一周でちょうど2マイルになるコース作ってやれよ。。。

1マイル地点の標識進むべきか戻るべきか。運命の1マイル地点


また「家族の不幸」があったと連絡し忌引きをとったが、死んだのは猫だったケースも。このとき6:3で票が割れたのがいまだに謎。ネコ好きがいたのか、問題の人物が4年で卒業間近だったからかどうかはわからない。メールの短文だから説明が足りなかったんじゃないかと擁護する説もあったそうだ。どう考えても「cat」の方が単語短いだろ。それに書類じゃなくていいのか?もう前世紀の遺物だな自分。


可哀相な例でいうとプリーブ。上級生に聞かれて昼食のメニューをそらで読み上げないといけない。思いきり間違えたとする。上級生は献立なんか覚える必要はないので正解を知らない。で、次が君の番だ。本当のメニューを言えば前の奴が間違えたことがバレるかもしれない。あるいは自分が間違えたことにされるかも。だからといって知っているのに嘘を言ったら倫理規範に背くことになる。まあ基本虐められるのはどもったり焦ったりするプリーブなので、自信満々でハキハキ返答すれば内容なんかみんな気にしてないことが多い。覚えてなきゃ正直に言った方が目をつけられない。なんかもうね、プリーブ(最下級生)の場合人権ないから倫理も道徳もへったくれもない扱いされてっけどそれでも自分は名誉を尊ばなくてはならない。早く人間になりたーい!

1マイル地点の標識夏休みまで灯火管制下の監禁状態で何やら研究中
どこまでストイックなのか

他の大学でもよくあることだが、提出課題で他人の助けを借りたとか、何かの記述を文体を変えてそのまま使い、出典を明記しなかったなども倫理規定違反だ。アメリカの論文とは基本的にどれだけ他人の著作を引用して自説の正当性を証明するかという形式なので、いきおいどこかで読んだ内容が紛れ込みやすい。丸写しでない限り、あるいはそれが担当教授の論文だったりしない限り世の中の全ての公表された文章と付き合わせてのチェックは大変難しい。もちろん提出するのだから証拠が残り、有名人になってから誰かが気がついて問題になったりするのだが、学生がネットで調べ物をする時代、コピーは一瞬で出来るようになった。では学校側はどう対応するのか。剽窃など恥ずかしくて出来ないよう生徒を洗脳すれば良い。

ウエストポイント卒業式

そんなことが出来るのか? 18歳というのはそれが可能な年齢の限界かもしれないが、出来る。というかそうし続けて来たのが士官学校であり、ノウハウの蓄積は充分である。
その士官学校の代表とも言うべきウエストポイントでは入学式の37分目に既に倫理規定を教え始める。それから4年の間、行動の全てに倫理規定が適用される。そして彼ら士官候補生は自己に課した倫理教条に即し、一切の道徳に反した行動を自律的に制限する。たぶん一生。

ウエストポイントの石碑勝利に勝るものなし。勝てば官軍(違)

 そのモラル至上主義の頂点に立つ倫理委員のマット君。もう彼の将来は決まったも同然。策謀と嫉妬と事実無根の噂が横行する民間で機能するのは無理。彼は宗教界の誰よりも清く正しいに違いない。人間として間違いなく素晴らしい。でも世の中は汚く不条理だ。そして戦争や外交は公平に公正に行動するだけでは勝てない。 敵の裏をかき、裏の裏を読み、倫理など考えたこともない相手と戦わねばならない。ズルい奴の心理がわからなければ対抗出来ない。日頃真面目なのに急に作戦上ズルくなろうとしてもなかなか体に染み着いた癖は抜けない。

また世論を左右しかねないマスコミに応対するにも案配という物が必要だ。え、マスコミ以外になら物量と練度で勝てる?まあアメリカなら余裕だよね。圧倒的だもん。隣の国々が日本をイジメに来ないのはそのおかげです。ありがとうございます。

このオーナーコードを叩き込まれると一般社会に出た時徹底的に不利。世間は名誉だの倫理なんざ知っちゃいないのでストレスが堪る。何しろ軍隊と違って部下に命令しても平気で無視され、約束不履行が許される世界である。ごめん今日雨でタルいし行くのよすわ。などというメール一本で予定がチャラとなる。良心回路を埋め込まれ、どうでもいい口約束すら馬鹿みたいに守る士官学校卒業生が仕事を2つ3つ断り、母親の誕生日パーティに欠席し子供の試合を見に行かず空けていた日であっても。自分は一度した約束に「やっぱその日ダメだわごめん」とは口が裂けても言えないのに。

とにかく、人間としてマット君は理想の若者だろう。親としては息子にこうなってもらいたいという見本かもしれない。このような青年ばかりならどれほど世の中は住みやすくなるだろうか?この辺が難しい。嘘も方便。積極的に嘘をつく必要はないが、誰かを傷つけない為に、誰も損をしない状況でなら本当のことを言わなくてもいいのではないか? しかしその結果、事実でないことを誰かが信じるとしたら。それを看過すべきではないと教えられたら。誰の得にもならないのに、ただそれが正しいから、皆に真実を伝えるべきだろうか。

葬儀の参列者

あなたの子供が死んだとする。学校の人気者だった。仲のいい友達を助ける為に狂犬の犠牲になったのだ。少なくともあなたはそう信じたい。子供の名誉も守られる。だが実はその子は友達をかばったのではなく、逃げようとした友達に突き飛ばされたのだとしたら。どちらの親もそんなことは聞きたくないだろう。犬は既に死んだ。飼い主はわからない。誰の名誉も損ねない。美談で終わりにしてはいけないのか?
終わらせてはならない。マット君は倫理規範を体現した実在の人物を例として挙げ、彼の行動を尊敬していると話してくれた。もちろん子供と狂犬ではなく現実の話であり、事実は大変辛い。

糧食を運搬する兵士苦楽を共にし連帯を重んじる陸軍魂

それでも、真実はいつか明るみに出る。事実を曲げて巷間に広めたと知れれば世間の信用を失う。だから最初から真実のみを語るべきだ、と考えるのが陸軍士官学校の倫理規定だ。ウソも盗みもズルもせず、他人がそれらを行うのを見逃すことも許さない。なぜそこまでこだわるのか。
それは、戦友の信頼を得るためだ。戦場で命を預ける相手を信用出来なかったら、上官や仲間や部下を信じることが出来なければその部隊は果たしてどこまで機能するだろうか。

そして、士官はたとえ上官の命令といえど盲目的に従うのではなく、それが間違っていると判断した場合はしかるべく行動せねばならない。これはとんでもないストレスと自分の首がかかった意思表示だが、それを行える気力胆力と正しい判断力を養うのが士官学校なのだ。他人に命令する力を持つものは、それを制御する術を学ぶ必要がある。そして力の対価として責任をも負わねばならない。

陸軍士官学校のロッククライミング部員放課後はロック・クライミングで景観を堪能
撮影者はマット君♫

果たしてあなたならどう思うだろうか。あなたの子供がウエストポイント陸軍士官学校に入学を許可されたら。名誉なことだ。設備は一流、講師生徒比率1:7。部活動も充実。スポーツ施設完備。スキー場ゴルフ場ロッククライミングに狩猟乗馬。無料な上に給料支給。ウエストポイントで銃乱射事件を起こそうなどというアホはいないのでとても安全。WiFi完備。アイロンがけに靴磨き、ベッドメイキングに床掃除、完璧な洗濯物の畳み方まで教えてもらえる。卒業後は超安定国営組織への就職も確定している。どこに出しても恥ずかしくない責任感の強い若者になることは間違いない。しかし職業柄、訓練や演習ですら命を失う危険がある。それでも義務と誇りと国のために体を張ることを厭わないだろう。それだから学校の名前を出しただけでまわりが信用してくれる。見知らぬ各界の重鎮の老人が頼みもしないのに便宜を図ってくれる。

ウエストポイント陸軍士官学校のカデットの決めポーズ男女世界は僕らを待っている

 だがついでに自己犠牲の精神と世界救済の可能性まで学んでしまう。この不完全な社会に累積する大小さまざまな問題解決の為に自分の時間と労力を使うことが当然だと考えるようになる。なまじ能力があるので世界を変えるのは無理などと考えもしない。本人はいいだろうが救世主の家族は大変である。「あなた、ホンジュラスに孤児院を作る前に自分の子供作って!」「世の中の哀れな子を救うのが先だ!」たとえ話じゃなく実話なので始末に困る。

陸軍士官学校の卒業式

残念ながらこれはどこの士官学校に行ってもそうなる可能性大。アナポリスならチャラいから大丈夫とかいうものではない。まとも過ぎて「普通」とはかけ離れてしまうのだ。アメリカの士官学校は親や教師が望んだくらいで卒業出来る所ではない。本人の強い意思がなければ将来の指揮官になるための厳しい試練を乗り越えることは出来ない。そして「出来ません」の一言が許されない4年を過ごしたあとは世の中は自分が率い切り開く基本姿勢が骨の髄まで染みついてしまう。だから理想に燃えた青年士官がたとえ退役し社長令嬢のあなたと結婚したからといって「長いモノには巻かれろ」が座右の銘のリーマン婿に一朝一夕でなれると思ったら大間違い。色々な意味で更生には長時間かかるのでご注意を。


注* ゲート脇にマクドナルドはあるがひいき目に見ても「集落」どまりである。スターバックスがないといえばお分かりであろう。

樹上のクマスタバよりクマが多い土地柄

  注** よくわからんが何かのプロパガンダとして中国人の銅像がウエストポイントにあると戦後喧伝されたらしい。スピンオフでなにやらドラマにもなったようだ。美国の士官たるもの中華の素晴しさを學ばずしてなんとしょう。もちろんそんな銅像はないので皆ガッカリして帰っていくという。それでもいまだに毎日バス単位で観光客が来る。全然英語が通じないが、なんかお洒落っぽい高校生達だった。昔は服や髪型、顔つきで一発で中国人か日本人かアジア系アメリカ人か区別がついたものだが、時代も変わったものだ。

注***一口に百時間というが、士官学校はスケジュールが詰まっているので時間を捻出する為には休暇も土日も全て「行進」に費やさねばならなくなる。そもそもデメリットが残っていたら休暇中外に出る権利がないし、平日に自由時間はない。飯を抜くとか忙しい部活を辞めて大した義務のないラクチンな部活の「マネージャー」になるとかすれば別だが、それにしたって100時間とか無理。正直に飲酒をゲロってしまった自分が情けなくなること請け合いである。天候を無視し休日夜間も続ければ何とかなるか?たぶん規則的に無理だし体力的にも是非なんとかしたくない。翌日の居眠りは必至である。もし授業やフォーメーションに遅れたら行進5時間を加算される。蟻地獄。

陸軍士官学校の銅像の拍車夜中他人に見られず拍車を回すと落第回避との丑の刻参り伝説が

おまけ ウエストポイントで不品行の罰として「歩き尽くす」時間が100を超えると「センチュリークラブ」のメンバーになれる。累計行進時間が100を超えた過去の有名人にはアイゼンハワー大統領がいるらしい。カデットの名誉の為に言っておくと遅刻なんかする奴はめったにいない。ましてや毎日遅刻してくる常習犯はまず入学からして無理。だからこのクラブのメンバーになるには退学にならない程度に一気に何十時間も罰(ペナルティ/デメリット)を稼がねばならず、寸止め、見切り等の高等技術が必要となる。匙加減を間違えて退学を喰らった中にはエドガー・アラン・ポーと画家のホイッスラーがいる。

注***スポンサー。全米各州から集う士官候補生の里親制度。ボランティアの近隣のご家族である場合が多い。車でお迎えに来てくれたり私物を預かってくれたり友達が来た時のホテル代わりにといろいろ面倒を見てくれる天の助けとも言うべき存在。たまに気が合わない場合スポンサーをとっかえひっかえすることもあるが、何の利益もないのに親切にしてくれる人達なのだから敬意をもって応対しよう。

注*****アメリカでは80年代以降、飲みにいく時は必ず飲酒せずに皆を送り届ける「指定ドライバー」を連れて行くのが一般常識となった。これはMADD(飲酒運転を防止する母の会)の影響力が大きくなったため。最後まで素面なのはこの人物だけなので、他人のガールフレンドだろうが何だろうが女の子を口説き放題の特典がつくが、他の連中は酔いつぶれていて気がつかないことが多い。


カデット=士官学校の生徒。士官候補生。陸軍、空軍、沿岸警備隊の士官学校も生徒はカデット。海軍士官学校と商船大学では士官候補生をミッドシップマンと呼ぶ。

士官=兵士を統率する将校のこと。少尉、大佐、中将などは士官。士官学校は将来士官になる人材を養成する機関。4年制大学過程+指導力・軍事知識と技能を学ぶ場所。生徒は公務員であり、士官候補生と呼ばれる。

ウエストポイント陸軍士官学校でデメリットを消化するカデット達ライフルが肩に食い込む百時間

行進=罰としてライフル担いで行ったり来たりを延々繰り返すこと。実際のパレードとは違う。パレードの練習も面倒だが抜け道はいろいろある。罰行進にはない。

オーナーコード(honor Code)=倫理・名誉に関する行動規範。士官学校の教育のうちでも重要な位置を占める。各校でその表現は微妙に違うが、基本は同じ。お天道様に顔向け出来ないことはするな。ちょっと違うな。いやだいぶ違うかも。お釈迦様でもご存知あるめぇ、が違反なことは確か。

Special Thanks to: The U.S. Army, United States Military Academy and their staff.
Also LTC. Webster M. Wright III, Ms. Theresa Brinkerhoff and especially to Cadet Matt Fitzgerald who spent some of his precious time with us.
Photo courtesy of the U.S. Armed Forces.


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