士官学校卒業式Part1: 最優秀中隊の栄光と悲劇

アメリカ海軍兵学校のフォーマル・ドレスパレード

5月でもジューン・ウィーク

 アメリカの士官学校では5月に卒業式(任官式)がある。厳しい士官学校を4年間耐え抜き、ついに卒業する一大イベント。卒業式のある週は5月でもジューン・ウィークと呼ばれ*、一週間前からお祭りが続く。もうすぐ最上級生となる候補生がX期(Xは卒業年度)の紋章入りの指輪を7つの海の水に浸して恋人にはめてもらうリング・ダンスと花火、一年生がラードまみれのオベリスクに登り、頂上の帽子を制帽に交換するハーンドン(アナポリス海軍士官学校のみ)やフォーマルパレード、コンサート、スポーツ、パーティ、曲技飛行チームのデモなどもう行事で満艦飾。卒業式当日もブルーエンジェルスなどのフライオーバー、ハットトス、卒業直後の結婚式ラッシュなどあまりにもカバーする範囲が広いため、卒業式関係の行事は数回に分けて紹介いたします。乞うご期待。

春爛漫のアメリカ海軍兵学校の礼拝堂

* 昔は卒業式が6月だったのでジューン・ウィークと呼ばれた。かつて9月から新学期だったのが8月下旬開始にズレたため、6月に行われていた卒業式が1979年より5月に。現在は任官週(コミッショニング・ウィーク)というがこの長ったらしい正式名称はあまり使われない。だがグラデュエーション・ウィークという同程度に長い言い方は一般に分りやすいのかあちこちで見かける。
少し前まではリカグニション・ウィークというこれまた略したくなる名前で、ご家族にどんだけ士官学校がタフかご覧いただこうと父兄参観したりパーティーしてたようだが、ママさんグルーピーが始終校内をホバリングしだしてうるさいので廃止された。行進の最中に決めポーズ要求されても困る。おかあさん、ジャニャーズじゃないから。ここ軍隊ですから。

実際には学生といえど既に公務員で給料をもらって”士官候補生”としてご奉公していたので普通の卒業ではない。何しろ仕事は捜さずとも待っている。この式で晴れて少尉となり、またぞろ複数の学校に行かされ、まあ数ヶ月から数年後には実際の勤務地に派遣されるのだ。だから卒業といえるかどうか。ともかく士官学校をきちんと終えられたというのは達成感あふれる一大イベントといえよう。行ってない人間には想像つかない大変さなので卒業生同士で褒め讃えあうのである。

年間最優秀中隊 ”カラーカンパニー”

さて、今回ご紹介するのはアナポリス海軍士官学校で1867年より続く由緒あるカラーパレード。これは学期末に士官学校の最優秀中隊が選ばれ、彼らが卒業式前日のパレードの先頭になるというもの。カラーは軍旗。リボン*が沢山付いている。
行進は軍隊につきものであるが、ジューン・ウィークの場合、卒業生にとっては最後の晴舞台。春学期と秋学期の最優秀中隊のどちらかがパレードの先頭を務める。中隊長はカラーガールから旅団旗を渡され、祝福のキスを受ける。

アナポリス米国海軍兵学校のパレード

カラーガールというのも伝統で、この最優秀中隊長の恋人か婚約者が務める。なぜか都合が付かなければ姉妹。前最優秀中隊から新中隊に旗を移譲する大変名誉な役割とされる。士官学校が勢いこんで用意した純白の園遊会風ロングドレスと白い帽子と白の長手袋に身を包み、真珠のネックレスと麗しい花束を贈呈されたカラーガールが緑濃い芝生に立つ姿は 古き良き時代のようで優雅極まりない。まわりにいるのが軍服なのでことさらに年代不詳。学校の存在自体が伝統な中の絵に描いたような伝統行事です。

伝統といえば2012年のカラーパレードを観閲したのは、1951年度の元最優秀中隊長とそのカラーガールだったご両親を持つ海軍大将でした。これはアナポリスでも初めて。その年卒業の人の子供がもうおじさんな時代なんだな・・・。

アナポリス米国海軍兵学校の教練

で、例年中隊長は男子だったのだが、2001年に女子の学期最優秀中隊長がおり、もし彼女の隊が年間最優秀に選ばれた場合カラーボーイ(嘘。正式には栄誉者という中性的名称になる)に何を贈呈するか頭を悩ませた結果、無難に金のカフリンクスとタイピンとなったようだ。結局秋学期の軍旗中隊が選ばれたので実現はしなかったが、男に無理矢理ドレス着せるわけにもいかんし、スーツってのも礼装の軍服連中の前ではちょっと地味。もう一人の最優秀中隊長をカラーボーイにする案も出たが却下。いっそ花束と真珠のネックレスを男から女性中隊長に献上すりゃいい。でもそんなコトしたら女性団体に八つ裂きにされるんだろうな〜。ちなみに去年の女性中隊長は母親を選んで問題回避。今年はもう生きてる人なら誰でもいいとヤケクソな発表。


* 普通は所属艦隊等が戦闘に参加すればバトルリボンが増えるのだが、士官学校でその資格があるのは大戦中に戦死者が出た商船大学だけだろう。ではあのじゃらじゃら付いてるリボンは一体何なのか。知りません。理由は中盤を読んでお察しください。

行進、行進、また行進。倒れるまで行進

アナポリス米国海軍兵学校の新入生の行進練習

パレードだの整列行進の類いは毎日何度もやらされるのが軍隊。士官学校は軍の指揮官を養成する大学であるから入学式当日からビシバシ練習させられる。日本人と違い朝礼や軍隊マーチに合わせて運動会入場行進などまったくもってさせられて来なかった民間人高校生なのだから大変。これをなんとか皆様にお見せ出来るように仕込むのがプリーブサマーと呼ばれる新入生夏期特訓。この6週間が終わる頃には曲がりなりにもまともな行進が出来るようになる。昔は8週間だったから終わる頃には今とは比べ物にならない出来だったと当時の卒業生は主張する。そうでしょうとも。

アナポリス海軍兵学校の制服襟は汗びちょになるので外してクリーニングに出す
まっすぐの物差しになって返ってくる

だがハッキリ言って面倒。毎日のフォーメーションは無意識に出来るものの、フォーマルドレスパレードは観光客が撮った動画がYOU TUBEにアップされるし校長教頭教練教官も見てるので手抜きはマズい。大統領就任式だったりしたら世界同時中継、完璧以外は許されない。また行事によっては延々数時間立ちっ放し。やっと終わって動き始めると心底ホッとする。立ったまま微動だにしないのは数時間歩き続けるよりよほど辛い。特に炎天下に首の詰まった厚ぼったい儀状服をばっちり着込んで蒸れる帽子に白手袋まで着けた状態では。4月初旬に衣更えで白ボトムになるものの焼け石に水。

アナポリス米国海軍兵学校のパレードの様子恐らく最も頭が煮えてる人
下はノーパン?なのが救いか

士官学校に入るのは平均以上に健康な人間であるため、病気になったり怪我をする奴はめったにいない。4年間一度も見かけた事もないのが普通。であるからフォーメーション(課業整列)やパレード(整列行進)の最中にぶっ倒れても放置される。くそ暑いアナポリスの2011年のカラーパレードでは46人捨て置かれた。屍塁累。式が終わればごつい海兵隊のおっさん等に担がれ医務室なり病院に連行される。

アナポリス米国海軍兵学校での行進

だって一人引きずるのに2名必要だし、列に割り込んだり統制乱すと見た目悪いじゃん?まず現在進行形の任務を終わらせてからだ。そもそも戦争中隣の奴が弾に当たって倒れたからといっていちいち振り向いたりしてたら自分が死ぬ。まず自分の安全確保の後救助、だよね。どうせそいつら倒れたのは前の晩飲み過ぎたせいだろうし。特にジューンウィークの最上級生は毎晩出歩けるから二日酔いどころの騒ぎじゃない。まっすぐ立っていられずフラつくぐらいなら、いっそ倒れて冷たい芝生をしばし楽しみつつ意識不明のフリをすればよい。フリなのがバレたらいっそ意識不明になりたくなるだろうが。

隠れた特典、学校代表スポーツチーム

アナポリス米国海軍兵学校の教練風景アナポリス海軍兵学校での教練風景

そういうわけであるから、しなくていい教練や行進はパスしたい。ただでさえ忙しいのに行進練習までしてその後課外活動させられ教科の課題終わらせたらマジ寝る時間を削らなければゲームする時間がなくなる。眠るのが一番の楽しみなのにぃ。
ではどうするのか。大学代表(バーシティ)チームに入るのが一番。基本メジャーな競技はバーシティ・スポーツ。その部で上手な選手は学校代表チームメンバーに選ばれる。運動部は全員必修で、毎日授業のあと夕食まで練習時間として充てられている。これは出ないと許されない。で、パレードの練習は授業の後、月水とか平日に数回ある。でも学校代表チームの練習があるならスキップ出来る。代表チームの人間はパレードやドリル(教練、海兵隊がライフルでバトントワリングしてるアレとか)の練習を免除されるのだ。少なくともその競技のシーズン中は。え、行進の詳細紹介はないのかって?すいません、まわり中代表チーム選手だったんでパレードしてない奴しか知り合いがいません。それに詳細書くと数十ページになっちゃうよ?

アナポリス米国海軍兵学校の乗艦選定式の候補生目指せ代表チーム選手

運動部にも格差があり、例えばフットボールはバーシティだけどフェンシングは今や趣味レベルのクラブ活動と見なされる。どうせなら行進しなくていい部活を選んだ方がいい。でも最上級生ともなるとしたくなくても役職を与えられ、下手するとドリルや行進に出ないでは済まされない役もある。小隊長くらいなら誰か他の奴(副とかアシスタント)に押し付けてしまえるが中隊長まで行くと全然練習に出ないわけにもいかない。代表チームキャプテンになれば別だがそううまく事が運ぶとは限らない。これを回避したいなら成績で低空飛行を続けるか不品行をかますしかない。かまし過ぎると罰行進(ウエストポイント記事参照)や停退学が待っているが。

学校代表選手には他の特典も付いてくる。バーシティチームは一緒に夕食をとる事が出来る。そして夕食前のフォーメーションにも出なくてよいのだ。だから部屋に戻って焦ってシャワーを浴びきっちりとした制服に着替えずとも、運動着である所のホワイト・ワークス(ゆったりした水兵服)の下に体操着で構わない。さらに一年生(プリーブ)はいつもなら夕食の席で上級生に囲まれ苦行の中悟りを開きながら食事をする(関連記事 美食の報酬参照)のだが、運動部の先輩は優しい。ストレスなく消化にも良い。良い事尽くめ。

動く背景・ヨット部員

アナポリス米国海軍兵学校のヨット最低でも同型艇12艘で背景を彩ります

さらにおいしい部活もある。アナポリス海軍士官学校ならバーシティ競技であるセイリング部がお薦め。ここの代表選手もしくは大型ヨットのクルーなら本番のパレードすらしなくて済む。
海軍兵学校の敷地はセヴァン川河口に面したウォーターフロント。練兵場の後ろは水面。観閲式など式典の背後にヨットが見えると海軍ぽくてカッコいいというので、行ったり来たりの動く背景と化すことが科せられる。川風に吹かれ、日頃の多忙をひととき忘れてだらだら出来る。
派手なスピネカは必須アイテムなので風向きと同じ方向に行かなければならない場合、船の上は無風だからくそ暑いには変わりない。屋外でパレードするくらいだから日差しは充分。風が途中で絶えるともっと悲惨。だが背景なので客の前で衝突や沈没さえしなければもはや動かなくても川流れ防止にモーター稼働でも果ては投錨してても帆がきれいに見えてさえいれば何でもいい。気楽な稼業である。

カラーコンペティション:軍旗争奪戦

大統領就任式のパレード大統領就任式の海軍兵学校のパレード

士官学校の組織は全体が旅団、それを等分して連隊、その中に大隊、その下に中隊が数個存在します。米陸軍士官学校で36中隊、米海軍士官学校で30、空軍で40。4000人超の士官候補生は30ー40の中隊に分けられ、各中隊ごとに在籍者の学業成績33%軍事関連34%運動能力33%が得点として加算され、最も総合点が高い隊が毎学期選ばれます。これをカラーコンペティションといいます。見事最優秀となった中隊にはいい場所の駐車場が融通されたり、週末のお休み一回追加の特典や、栄えある大統領就任式で雨でも雪でも行進させて戴ける重荷…いえ、名誉が与えられます。ただし翌学期から。卒業しちゃう人は関係なし。わずかにジューン・ウィークの間外出時間が一時間延長されたり当直が免除されます。その恩得を最大限に活用し過ぎてパレードで倒れたりするわけですね。

個人の努力だけでは最優秀には輝けません。行進やドリルの正確さは点稼ぎに重要です。曲がり方がシャープだったとか頭右のタイミングと角度が全員完璧とかライフルの扱いが滑らかとか運良く背丈が揃ってたとか。そして年間最優秀中隊が決まるとその中隊の隊長(カラーカンパニーコマンダー)の彼女に早速連絡が行き、カラーガールの衣装合わせとリハーサルが始まります。

昔々あるところに・・・

 ある年。海軍兵学校の校長(スーパーインテンダント)の娘が偶然最優秀中隊のカンパニー・コマンダーの恋人で、カラーパレードで旅団旗を捧げる役に。ハンサムな士官候補生にキスするのは初々しい女子高生。しかも少女の方はアドミラル(海軍大将)のご令嬢。たとえ校長の娘でもカラーガールはなろうと思ってなれる役ではないので周囲もびっくり。由緒正しいお祭り騒ぎがさらに華やかに彩られる事となる。

大アナポリス海軍兵学校のパレード

当時は36も中隊があったため競争は熾烈、どこが一番になるか分らない。軍事教練、特にパレードなどどこも同じ事をしているのだからプリーブの足並みが揃わなかったとかライフル操作を間違えたなどの大ポカでもない限りマイナス要素がない。成績や運動能力テストの結果は分りやすいが、どこかの中隊だけ抜きん出て頭のいい奴と体力自慢が揃うことはめったにない。だから何か差が出るとすればおバカがいるとか減点性で語る方が早いが、成績は最高点から最低点を引いてその範囲差で割って(以下略)などと面倒な計算で導かれるため発表まで絶対はない。各中隊にも特有の役割や伝統があるので最初から諦めてる隊もあれば、死ぬ気で頑張る隊も。
そうして全てのカテゴリーや競技で得た点や賞を総合して決められる最優秀中隊。それが決定した時点で中隊長の彼女だったというのはまさに時の運*。
まるで試練を潜り抜けた勇敢な若者に騎士の称号を授ける美しい王女様じゃないか。

* 何しろ高校時代の彼女と付き合い続ける奴に2%ターとあだ名がつくくらい士官候補生の彼女枠は移り変わりが激しい。少なくともアナポリス海軍兵学校は。陸軍士官学校の皆さんは真面目かもしれません。いつも一緒くたにして誠に申し訳ない。

海軍士官学校の礼拝堂とブキャナンハウス

さて、明るく気だてのよい王女様は校内の校長の邸宅に住んでいるのでお友達の候補生が沢山おり、いつも気さくに一緒に遊んでいた。若い人が集まれば仲良くなるのは当然だが、海軍的な思考で顧みてみればお父さんは雲上人。大統領の娘と友達だったようなものである。あの頃はそんなこと考えもせず、皆ただ楽しく過ごしていたけれど。

こうしてジューン・ウィークにカラーガールから祝福のキスを受けた男は、卒業後フライトスクールへ行き天駆ける騎士となる。王女も高校を卒業し、愛する人の元へ。二人の行く手に広がるのは海よりも空よりも大きな未来。いつまでも幸せに暮らすはずの似合いの二人。

海軍の葬儀

だがお伽話は続かなかった。4年後、交通事故で両名とも死亡。飲酒運転だった。遠い海の上に届いた小さな悲報。規律正しい男だった。いつも笑いさざめいていた彼女。どちらがハンドルを握っていたのか、家族でもないものに知る由はなく。
当時は海軍内で飲酒は蔓延状態。飲めないやつは信用出来ないと仲間はずれモード。民間でもビール缶片手にピックアップトラック運転など普通どころかカッコいいとさえ思ってる奴がいた。さすがに違反ではあったから警官に捕まる事はあっても、友達がそれを見咎めることはなかった。
今じゃ誰もそんなやつの車に乗らないし本気で怒られる。トランク以外に酒類を乗せて運転しているだけで違反、飲酒運転で警察に捕まれば免停、士官候補生なら退学。今の社会であれば二人が死ぬようなことはなかったのだろう。若気の至り、自業自得だったといわれるかもしれない。でも、友達だった。やるせない想いは消えない。



海軍の葬儀

毎年冬になるとアメリカの各家庭のドアにリースが飾られる。それはクリスマスや新年を祝うシーズンが来た事を知らせる晴れやかな印である。だが士官学校では少し違う。墓地に眠る魂のために、墓石を飾るのだ。その墓の主について何も知らない若い士官候補生の手によって供えられるリースは、いつもと違う表情で少し悲しい。
たとえその墓石に刻まれた名前が教科書に出てくるとしても、候補生の頭に浮かぶのは肖像画や写真でしかない。その人が本当に生きていた時の事を覚えている者は数えるほどに減り、彼ら自身もまた墓碑銘でしかなくなる日を目の前にしているのだろう。

アナポリス海軍兵学校に墓地がある。普通は遺体を棺に納め地下に埋めるのだから場所を取る。まわりは川であるからそうそう土地が余ってはいない。地面には限度がある。希望者全員分は到底無理。そこで納骨用の壁が作られた。寂しい大理石の壁。ひとつひとつの区画は小さく灰を納めるスペースしかない。

海軍の葬儀

そこに最初に入れられたのは若い男女。ひとつの区画に仲良く一緒に並んだ婚約者同士の名前。異例だった。だが四年間お互いだけを見つめあって来た二人を分つものは、もうない。
彼らがもし生きていたら、今頃はクリスマスの贈り物を包むのに忙しかったり、家族揃って過ごせる休暇を心待ちにしていたかもしれない。いや、もしかしたらそこにいる候補生が息子や娘だったかもしれない。

若い人が往くのを見るのは辛い。彼らが壁で共に眠る年月は、いつの間にか二人が生きて過ごした月日を超えてしまった。記憶の中の二人は今も若く美しいままなのに。

そして今年もリースが供えられる。そんな昔を知らない士官候補生によって。

神を知らない私も、心から祈ろう。どうか、君達が悔いのない人生を送らん事を。

リースを運ぶアメリカ海軍兵学校の士官候補生

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