プリーブ・サマー: 士官候補生への道
8月半ば。陸海空軍士官学校の
どこがどうしてこうなった。まるで薮入りを心待ちにする小僧の心境もかくや。
とにかく両親と一緒に車でお出かけしてもよいのである。その間はなんと廊下を直角に曲がらなくて良いのである。一口食べるごとにフォークを皿に安置して手を膝に乗せなくとも良いのだ。アゴが頸骨に埋まるほどの直立姿勢をとらなくてもいいのだ。目が横を向いても怒られないし、そこらのベンチに座ってもいい。携帯使ってもいいんだぜ!!ヒャッホウ!
だからお母さん、お願いしますから買い物なんか早く切り上げて外行こうよ外。え、消費税かからないからここで買う?セコい事いうなよ恥ずかしいな。え、僕のプリンターとインク?新学期用?すいませんありがとうございます。
父さん何やってんの、え、フットボールのシーズンチケットと駐車券?んなもん後で・・いい席が売りきれる?知るかよ!
え、学生食堂で一緒に食事してみたいだって?お前、兄ちゃんになんか恨みでもあんのか?オレは今すぐここを出たいんだよ!!!
そんな切実な心の叫びはもちろん家族には聞こえない。何しろ彼らにとっては珍しい事だらけ。この機会でないと入れない場所や出来ない経験がたくさんある。もう6週間たっぷり経験した当人は叫びたくても監督生の手前、勝手に話す事など許されない。諦めてご案内するように。
興味津々の家族が一足ごとに「アレ何?」「ここ何?」と立ち止まり見学したがるのに付き合い説明し、あげく絶対にロッカーに収まりきらない巨大な荷物を母親に押し付けられても、今後いろいろ送ってもらわねばならないかも知れないので文句など言えない。その際宅急便だと上級生の手を無駄に煩わせ腕立て伏せさせられる可能性があるので必ず郵便局の小包にしろ、腐るもの溶けるモノ臭う物は入れるなと指定するのが精一杯。
しかもこの後、新入生隔離棟から正規の寮室に引っ越すため住所の書き方が変わることをなんとか教え込まねばならない。
「何だ、ゴルフコースあるのか」「家族もスキーリフト使っていいのぉ?」「あー、お馬さんがいるー♡」などと目移りしまくりな家族に聞く耳があれば、の話である。
今回珍しく、この週末を待たずに外に出たプリーブがいる。なんとオリンピック選手になれたのにそれを蹴ってアナポリス海軍兵学校に入った女の子だ。アーチェリー世界選手権が14日からなので渡仏。なんでロンドンへ行かなかったのか。お国の為に奉仕することの方が尊いから、もっと大きな目標(士官学校)を目指した(本人談)。言っておくが真面目に本気である。オリンピックで金メダル獲るのも充分国の為だと思うのは民間人思考。
うがった見方をすればメダルには及ばないから士官学校取ったとも言えるが、それにしたって五輪経験を袖にするとはかなり勇気のいることじゃなかろうか。こういう人が多いのですよ、士官候補生というのは。利他主義な使命感を持ってたりするわけです。もし全然持ってなくても4年のうちにしっかり植え付けられるから大丈夫。
何度も言うようだが、どんなにスポーツが出来ても頭が悪ければ士官学校には入れない。スポーツ推薦はあるが入学資格が他の受験生と違うわけではない。だからオリンピック訓練と両立は出来なかったのだ。
昔の例でいえば、デビッド・M・ロビンソン。アナポリス卒業後、サンアントニオ・スパーズのドラフト一位指名蹴って2年軍役した。とは言ってもオリンピック行ったり忙しくてどんだけ軍の普通の仕事したかは定かではない。
本当は卒業後最短でも5年お務めしなければならないのだが、「身長高過ぎ(2m15cm)で卒業してもパイロットも潜水艦も艦船勤務も不可能だし」って在学2年目(3年目からは授業料給料払い戻しか兵役が義務となる)に辞めようとしたら引き止められ(だって当時のSATで1320点**なのにもったいないもんね)、超法規措置で補給部隊で2年勤務でいいということになった。軍としては退役後の活躍を見込んでキャンペーンに使おうと思ったんだろう。何しろ品行方正学力優秀な黒人でバスケの花形なんてノドから手が出るほど海軍の宣伝に欲しい人材。でもロビンソンは真面目な人なので5年働けと命令されれば、貴重なバスケ選手生命最盛期を削ってでもちゃんとご奉仕しただろう。
ちなみにパイロットは士官学校卒業後フライトスクール2年、その後8年軍役務めてやっと辞められる。養成に高くつくから元取らなきゃね。潜水艦学校や医学校その他大学院も在学中は服務期間に含まれない。普通に水上戦の術科に行くんだって定員待ちさせられることもある。だから、進む分野によっては運が良ければ最短5年で辞める権利が得られる、という程度の話である。沿岸警備隊は6年。その間とその後3年(職種により2−4年)の予備役義務が明ける前に戦争にならないことを祈るしかない。これは士官の場合。兵卒だと米軍で最短8年。もっとも現役は2年で後は予備役でもいいのだが、予備役が召集を受ける確率はこっちが格段に高い。
で、夏期訓練とは実際どんな事をするのか。イベント的には基礎体力訓練、行進訓練、ピストルライフル手榴弾等の火器訓練、対生物化学核兵器訓練、ボクシング武道等訓練、障害物競走、統率理論、救急訓練、オーナーシステム[注1]の理解、海軍兵学校なら船取り扱いおよび海事規則、水泳にディンギーセーリングに対浸水訓練、空軍や陸軍士官学校は空挺関係練習他、まあ一通りお試しする。結構バラエティに富んでいて楽しい。ストレス耐性と度胸が備わった人材ならば充分プリーブサマーを楽しむ余裕がある。1962までのアナポリスでは飛行機の操縦訓練もあったんだけど練習機体の老朽化を潮時としてやらなくなっちゃいました。残念。空軍士官学校もできて、もう航空要員を海軍からたくさん出さなくても良くなったしね。
最近(過去10年)のトレンドはブートキャンプっぽく泥にまみれてみたい奴が増えたのかなんだかわからないが、訓練の成果を披露しチームの結束を固めるという御託の元にナントカ・トライアルと称する鉄条網くぐったり沼地行軍してみたり、そういう汚れるコンテストを最後に実施する。ゲームならともかく自分で試練を潜り抜けるのは疲れるんだけどなあ。朝4時半開始とか、ようやるわ。
しかも最後に士官候補生の正しい夏服(水兵さんでなく)でのインスペクションが待ってるから、終わったからといってシャワー浴びてすぐ寝るわけにもいかない。ある程度の余力は残しておかねばならない。
やっぱ遊んでるな。
海軍はスマートに白手袋汚さずにいてもいいじゃないか。運が悪ければ鮫に食われて海底の泥とご対面するんだし。空軍だって戦場漫画シリーズじゃないけどチェア・フォース(椅子に座ったまま戦争する)なんて陰口叩かれてるんだし、いっそきれいごとだけ見ていて何が悪いと開き直ればいい。みんなで陸軍が泥の中でのたうち回るのを見物しようぜ、マッチョぶらないでさ。
でも実はウエストポイント陸軍士官学校にはこのトライアルがない。夏期特訓(ビーストと呼称)の最後に20キロほどの道程を炎天下ライフル担いで背嚢背負って制服で行進する「だけ」である。空軍士官学校では夏期訓練(やはりビースト)の5週間のうち、2週間近所の裏山でテント生活する。でもずっとシャワー浴びないわけにもいかないだろうし、なぜ寮で寝てはいけないのか不明。それに引き比べ、ネイビーシールズの訓練過程ではフル装備で2日だか3日だか大自然の中を一人でサバイバルする。楽しそうだ。狼の群れを野生に戻すプロジェクトが北米各地で始まってるとはいえ。
この手の”トライアル”は一年次の最後にもあって、もう少し内容がレベルアップしサバゲー風味も加算される。海軍兵学校の場合、ペイントボールのどこがどう「シー」トライアル(正式名称)なのか不明。制服で3時間立ち泳ぎもメニューに入れたら?
シールズの皆さんに襲われて最初に全員溺れた班が一年間同級生の仕事を肩代わりするとかさ。
大体こういうのは生徒が音頭とって出来た新しい伝統だ。一般人の「軍隊ってこーゆー過酷な訓練するんでしょー?」な質問に「いや、全然」と答えるのに飽き飽きした海軍士官候補生が、じゃスネークごっこすればいいんじゃね?みたいなノリで企画して実現しちゃったんだろうきっと。結局みんな遊びたいお年頃だし。
冷戦構造も瓦解したからユルくなったのかねえ。何しろ何年か前の一年生向けの標語が「一人の落伍者も出すな」だったんで物議を醸したんじゃなかったっけ。そりゃ前線での話でしょ。無能な人はぜひ学生のうちに落伍して下さい。国防大丈夫か?
プリーブサマーのスケジュール例
05:15 起床、運動着に着替える。
05:30 廊下に整列。
05:40 ラック(ベッド)整頓。三列縦隊を組む。
06:00 体力訓練。運動場への行き帰り駆け足。
07:00 駆け足で寮室へ。角は直角曲がり。
洗面シャワーひげ剃り制服着用。
軍関係規則階級命令系統や当日食事献立
並びに新聞一面とスポーツ欄暗記。
07:45 朝礼(課業整列)/朝食。
暗記していない所を当てられ食いはぐれる
08:45 授業もしくは当日の訓練。
11:45 分隊長様のご要望とあらば暗記事項を詳述奉る。
12:10 昼礼後整列組んで音楽付きで隊ごとに昼食場所へ。
13:00 午後の日替わり訓練。
16:00 体育部活動。
18:00 夕礼/夕食。
19:00 夜間日替わり訓練。
21:10 自由時間。掃除片付け翌日の用意洗面等。
当然だがシャワーは同室者と使い回す。
余力があれば家族に手紙で泣き言を綴る。
電子機器は新学期まで使用禁止。
22:00 消灯。夏期訓練時はこれ以降就眠以外の行動禁止。どうせ疲れてとっくに寝てるけどね。
士官候補生になる為の前哨戦というべきプリーブサマーと、普通の兵卒になるためのブートキャンプは違う。まずブートキャンプの方は出たら即戦力。すぐ部署につかされるので、とにかく命令をためらわずに実行する条件反射の促進という点に主眼を置いて訓練する。6−8週間、肉体的にはキツいが、自分の判断を求められるようなことはない。服従あるのみ。
ところがプリーブ・サマーの方はその先に本格的な4年間の士官学校の学業と訓練が始まる。その後の服役義務、いや軍役も待っている。ので士官学校では従う側と指導する側を両方経験させられる。しかも基本24/7の生活*で骨身に叩き込まれる。というか自発呼吸並みに脳幹に刻まれる。その4年間の前に、もう一度言う、前に、民間人高校生を士官候補生としての生活と思考様式に付いていけるようにする「予習」がプリーブ・サマーなのである。
何しろ4年間不特定多数の密着監督下におかれる生活への下準備であるから、体力も当然だが精神的なタフさがさらに重要なのだ。司令官はどんなにストレスに満ちた状況下でも素早く正しく判断を下さねばならない。だから、入学した日の夜から怒鳴りまくられ追い立てられ(だが名前は敬称付きで呼ばれるのが余計怖い)、いきなり考えた事もない政治経済問題についての自分の意見を聞かれ、どんなにまわり中の人間から叩かれてもとっさにでっち上げた自分の論旨を貫き弁護する精神力を求められたりする。この際意見は何でも構わない。自分で考えて、正しいと思ったら(いや思ってないだろうけど練習練習)貫き通す訓練だ。こうしてどんな事にも動じない人格の養成に磨きをかけていくのだ。言い逃れ上手?その意見、弁護しきれるんだろうな。
とはいえ最近とみに規則が緩んでいる由、ご母堂ご心配召されるな。なんと自室のドアを閉めてもいいとか、朝起こす時に上級生が耳元エアホーンや水道管の床落としやドラム缶をガンガン叩いて騒音でプリーブをたたき起こすような親切は自粛するようにとのお上のお達しが出たゆえ、どうぞご安心くだされ。
シャワー中とトイレ中のドア以外は開けとくのが普通だったんですが。まあ夜寝るときはみんな閉めてたけど。どうせこんな「閉める権利」はすぐ監督生に取り上げられるんだろうな、何かの罰として。だいたい17−18歳の男にプライバシーなんか与えていいのかね。ろくなコトしないと思うぞ。
それに、普通のアラーム時計なんかで目が覚めるような運動量じゃないんですが、新入生夏期訓練。遅刻したらどうすんだ。さらに罰として運動量増やされちゃうよ。なんという負のスパイラル。
あんまりプリーブサマーを甘くすると「こんなとこにいられない」と本人が気がつくのが遅くなって税金の無駄なんだけどなー。で、そういう甘っちょろいのがまかり間違って誰かに命令を下す立場になると、これはもう下手すると人死にでちゃうんだけどなあ。やだよアフガンの渓谷あたりでストレスに弱い上官に当たったら。たぶんそういう”権利の享受”を推進しくさったお母様の息子が部下を殺すんだろうなあ。最近の人間は権利が義務と対である事を知らない。どちらか一方に偏った社会は大変住みにくくなるのだが。
ああもう面倒なので適当に写真載せときます。いつか画像ギャラリーかなんかにします。お許しください。
注1:オーナーシステム。名誉/倫理規定(コード)を定め士官候補生に道徳と倫理観を植え付ける。アメリカは結局清教徒の国であり、士官学校では倫理/モラルに関する規則は大変厳しい。曰く、盗むな嘘をつくな不正を看過するな。国境を接して血で血を洗って来たヨーロッパの方々には鼻で笑われるナイーブさであるらしく、英国王立士官学校などにはつい最近までそんな科目も標語も規則もなかった。なぜ今更このシステムをイギリスで導入したのかわからないが、実質無視されているようである。昔からひどいスラングもよくお使いですしねえ、英国紳士の士官候補生は。アメリカの士官学校で不用意に四文字言葉なんぞ使ったらまともに相手にされない。なのにダートマスなんて酒は飲むわ夜は外出し放題だわ女と遊ぶ暇はあるわでモラルどころの騒ぎではない。まあ卒業したら卑語の飛び交う職場なわけですが。
ところで海軍五省っていうの?アナポリス米海軍兵学校のどっかに掲げられてると日本では言われているらしいが、どこにもないよ???誰に聞いてもそんなの聞いた事もないって言うけど、もしかして大昔の話でどっかにしまってあるのかなあ。資料館のすごい目立たないとこに実はあるとか?最近目が悪いしなー。
*:365日24時間拘束というのは比喩ではない。例えば、プリーブ(一年生=最下級生)は4時間交代で伝令任務に就かなければならない。これは各施設の指定の場所で電話番や緊急時の伝令をする役目。夜中だろうが授業中だろうが誰かが所定の位置にいる。その隊の生徒数にもよるが大体4−5日毎にこの当直が回ってくる。その他にもいろいろ当番があるので自由時間など最初からないものと思っていればたいがい幸せになれる。
**:SATにも色々変遷があり、今と昔の点数(特に95年以前)を一緒にしてはいけない。昔の点数に100−150くらい足すと今の点数になる。今は数学なんか計算機使ってよくて4個までなら答間違っても尺度判定800(これが最高)取れる。ウソだろ?昔は国語なんぞ全問正解でも800に達しないはずなのになぜか英数合計1600取った奴が新聞に載ったぐらいだぞ。1990年に1600取ったのは12万人に1人。今じゃ1400人に一人。ふざけかえってる。
***:昔は新入生を監督する最上級生(今は3年生も混じっている。ボランティアだから人が集まらんのだろう)をディテイラーとは呼ばなかった。なぜなら既に他の意味があるからだ。一般にディテイラーというのは転属先や職種変更に関する業務を行う。人事異動の最終決定はペンタゴンがする。異動前には各個人に一人ディテイラーがついて将来の昇進を見据えての希望を聞いたり実際の手続きをする。人事部の担当官と新入生の監督ではだいぶ意味が違う。士官学校では軍の機能や名称を覚えるために、全て実在の階級などを流用する。だから規模以外は実際と同じくあるべきなのだが、いいのかね変な意味で覚えても。
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