士官と兵卒:統率者の資質

儀仗服の士官学生と対テロ迷彩服の対比

兵隊さんも将校も、みんなおんなじ軍人さん。軍隊で働いてる人達。それが一般の認識です。しかし士官と、下士官以下略の間には埋めきれぬ溝、いや超えられぬ谷というか海溝が横たわっている。
  その違いは、例えば労組と経営陣、大工と建築士、選手とコーチなどを考えるとわかりやすいかもしれない。ゴールは同じ(日本の労組ならたぶん)なのだが役割が違うのだ。どっちが良いとかでなく。士官のほうが体は楽だが兵卒の方が気が楽である。

言い古された小話ではこうなる。
Q:材料も道具もなんにもない砂漠の真ん中に旗を立てるにはどうしたらいい?
A:軍曹を呼んで「旗を立てろ」と一言命令すれば良い。

あ、軍曹っていうのは下士官で、命令してるのは士官というか将校なのね、この場合。で、旗ってのは高い金属製のポールの上に翻ってたりするわけで、普通。たとえ無理難題だろうと兵士は将校に向かって口答えは許されない。命令が直ちに実行されるかどうかはともかく。小話にも色々バリエーションはあるが、まあこんなもんでしょう。

 まず今時の兵卒というのは公募で集めた高卒までの人足である。上のヒトの言うことを聞いて実際の作業を行うが経営方針に口出しなどしない。バイトは時給がもらえれば良いのだ。
  もちろん、軍という機関に入った時点で最低2年間は辞めることも命令に背くことも許されず、髪を伸ばしたり好きな時にTV見たり外食出来なくなるどころか死んで来いと言われても反対出来ない訳だが、入るまでそこに気がつかないような考えの浅い若くて体力のありそうな奴を「大学の学費援助するよ」「衣食住丸抱えだから貯金出来るよ」「外国にロハ(死語)で行けるよ」「潰しの利く技能が身につくよ」等の甘いささやきで勧誘するのである。
訓練といえど死亡者が出ることもあるのが軍隊だ、ましてや戦争始まったら前線送りは覚悟しとけ、などとは誰も教えてくれない。

欧米ではいわゆるブルーカラー(肉労従事者)とホワイトカラー(頭脳労働ってほどでもない事務職含む)の区別が厳しい。日本企業のようなボトムアップなんてないし、上司も下っ端も自分の専用区域を薄壁で囲って部下同僚と没交渉し、従業員の労働意欲も無く、カイゼンという言葉を日本語から輸入しないといけないほど現場は工夫とヤル気に乏しく、改善案を取り上げる経営陣も少ない。仕事は悪であり、労組は競争を出来る限り排除し会社がつぶれるほど甘い汁を吸い続けるのが正義と信じている。欧米でワーカホリックなのは成長している会社のCEOと自営業者だけだ。
そんな社会(まるで明治時代ですよ)でブルーカラーたる兵卒・下士官とホワイトカラーで役員の士官を一緒くたにする訳がない。完全にアパルトヘイトである。食事の場所も内容も別。仕事の内容も待機場所も宿泊場所も、何もかも別。馴れ合いを防ぐ意味もあるのだろうが、生活態度も女の好みもかなり違うのでお互い気に入らないだろうからまあいいか。

では士官の役割とは何か。これだけで教科書一冊分になると困るのでいいかげんに書くと、決定権と指揮権と部下をある程度与えられ目的達成に向かい自己の意思で最適の答えを出すよう訓練された者、だろうか。
 この「程度」はもちろん階級やコネや席次やいかにスキャンダルから逃れソツなくやり過ごすかによって色がつくが、まあ主に階級とどんな役がついたかである。で、上官の命令はよほど倫理・安全性あるいは技術的に問題がない限り、自己の信念と勘違いしなくてはならないような気もする。勘違いしないと階級が上がらなくなる。
 何しろ上に行ける人数は限られている。ピラミッドの上に行けば行くほど狭き門。失態などすれば当然放逐、とるに足りないようなことでも妙な目立ち方をすればそれだけで出世レースから外れる。上官に正しい提言などする奴ははなから望み無しだ。結果事なかれ主義の最たる人物、中学高校で皆勤賞だが同級生に名前を覚えてもらえなかった連中、特に士官学校出が率先して将官として名をつらねることとなる。

これが平時なら書類扱いとおべっか使いがうまければそれで良いが、有事の際に「敵に勝つ方策を編み出せる」実戦向きのアクの強い人材は完全にはねのけられる。そういった人材が窓際族のまま年金受給資格が取れるまで居残ることは稀である。こんなんで良いのかね。
 しかも軍隊の悲惨な所は、どこまで登り詰めようと命令を下される立場から逃れ得ないことだ。何しろ首相とか大統領が最終的な統帥権を持つ国がほとんどである。ド素人にご無体を言われても、それに対し進言や小一時間の説教は出来ても、勝手に「良きに計らえ」るつもりになってはいけないのだ。ドラ○も〜ん!!何か出してよ〜などと全面的に頼ってきてくれるような大統領はあまり当選しない。 何の話だっけ。

そうだ士官学校だった。大体ここに入学出来るのは王子か生徒会長でスポーツ部のキャプテンで学園のクイーンが元カノで当然成績優秀でチャリティに300万ドル集めて寄付した経歴の輝ける前途が誰の目にも明らかな人物ばかりであるべきなのだ。誇張でなく。
 もっとも最近はアメリカなんかではデブじゃない生徒を集めるのが難し過ぎるのか、小太りのカデットやミッドシップマンが存在する。嘆かわしい。こないだなんか、客を案内するのにガム嚙みながらな女がいたし。まああれだ、人口比で決められている黒人枠と女性割当数各15%前後は無理にでも満たさなければならない建前なので、希望者が少なければどんなバカでもあまり総合点が高くなくても入学出来るのだ。入学だけはね。最初の一年で新入生の3割がた落ちこぼれるのだけが救いか。いや、実は今じゃ15%くらいだけどね、落ちこぼれるの。甘くなったものだ。

それにしたって、入学に際し最低でも十数倍、下手すると二十数倍の倍率をくぐり抜けなくてはならない白人男性にとってはムカつくどころの騒ぎではない。先祖代々提督の家柄なのに士官学校に入れなかったら一族の恥である。講堂におじいちゃんの名前がついているのに。そういうプレッシャーを回避する為にゲイを名乗って美容師になった男もいる。お兄ちゃん達はニュースに歴代の大統領と一緒によく映っているんだが、人生色々。まあ遺産でスキー三昧だからプライドさえ捨てれば楽しい人生なのかもしれない。

つまり、士官学校に入るということは将来の指揮官を養成する機関に自己の存在を画一化…もとい一新してくれるよう丸ごと委ねたということなのだ。入学したその日から公務員扱いであるから給料が出る。一流の設備で最高の教育を受けられる。ロブスターとステーキ食べ放題の食事でも運動量が半端ないので太らない…はずだ。そして一歩学校の外に出れば年齢に見合わぬ名士扱い。女の子の父親がレグザスのキーを投げて寄越し、門限ないからゆっくりして来てね、と娘を押し付けてくる。親がビル・ゲイツでもない限り士官学校に子供を一人送り込めば、今まで払った税金の元が取れることは間違いない。最低5000万円/人はかかるというが、やけに少ないな。納税者の怒りを恐れて過小申告してるんじゃあるまいか。いずれちゃんと調べて報告します。
 それもこれも、厳しい選抜要項を満たし学力試験と体力査定と指揮能力の有無を徹底的に調べ上げられ、厳しい倍率をくぐり抜けめでたく入学を果たしたからなのだ。たとえとんでもなく優秀なアスリートであろうとも、一般の大学と違い成績が伴わなければ特別推薦枠で入学など出来ない。
名前欄に×印が書ければ軍に入隊できるような初等兵見習い未満と一緒にされては堪らない。

 もっともそんな名誉ある士官学校に入ったが最後、少なくとも最初の一年は奴隷扱いで上級生に気力体力忍耐力の極限を試される。別に秘密でもないのに入学するまで皆タカをくくり過ぎである。専攻は艦船設計と宇宙航空工学の二つくらいにしてぇ、部活も色々取って頑張っちゃお♡なんて甘い計画は体力的にも時間的にも不可能なのがすぐ解る。即座にサバイバルモードに入らねば最初の夏すら越せない。実際一週間で自主退学も珍しくない。

 ところで一般の方々は軍隊や教練というとすぐ鬼軍曹に殴られるイメージが思い浮かぶかもしれないが、アメリカの士官学校では体罰はない。某大ではシバかれるらしいが少なくともアナポリスでは上級生は新入生に指一本触れること無く不条理を押し付けてくる。
 もちろん肉体的に大変辛いお仕置き(直立不動のアゴ引き姿勢を何時間キープ、とか序の口)を自らするよう命令される。背くことはなぜか出来ないよう洗脳されてしまう。おそらく耳のすぐ後ろから最大音量で理由も無く怒鳴られても、反抗どころか振り向くことすら許されないような不毛な子供時代を経験していなかった為、度肝を抜かれてしまうのであろう。

なあに、たった一年の我慢だ。たかが毎日四六時中気が抜けない質問攻撃で飯を食う暇もなくなるだけのこと。合間に何とか勉強をしなければならないが、同級生は全員精神疲労状態なので、成績で水をあけて教官の印象を良くしたければ一年目が勝負である。専攻は英語にしとこうっと。
それに、この苦境に耐えることで妙な自信がつくのだ。日本の老人が「戦時中に比べればこんなことなんでもない」と言うのと同じだって。

わずかな数だが士官学校に入ってなお兵卒になってしまうこともある。
曰く、卒業後仕官を拒否した、単位を落として(再履修する時間はない)卒業出来なかった、何か事件を起こして退校処分になったなど。高い費用をかけて養成した公務員なのに、所定の任務を果たせないなら一兵卒としてこき使って元を取るしかない。それを拒否したら刑務所行きである。意趣返しと見せしめの為にやむを得ない。国庫は打ち出の小槌ではないのだから。払い戻そうにも、土地の安いアメリカでは海の見える豪邸でもない限り、家を売り払っても税引後じゃ足りるかどうか分からない。というか、金で済む問題ではない。済むときもあるらしいけど。

金でカタをつけようと思ったら安くても1千万くらいは払わさせれると覚悟した方がいい。士官候補生一人に4年でかかる経費(最低4〜5千万円)のうち国庫からの金は65%程度(残り35%は学校の基金、寄付金などで賄われている)。そのうち軍事訓練の費用は諦めるとしても、少なくとも2年間分の学費は返すよう強要される。これは最初の2年で辞めた場合無料でサヨナラ出来るのでそのぶんさっ引いてあると考えてよい。それにしても一千万円一気に払うのは普通人にはキツい。ここへ来て設備や教育の質が良いのが裏目にでるわけだ。数年前にウエストポイントを退学となった士官候補生は2千万近く払う羽目になり、既に扶養家族がいたため10年ローンを許され毎月17万の請求書が。やっぱり2年兵役でいいです。。

 とはいえ、政治家は未来の収入源から借りるという手を編み出したし、軍用物資なんていくら経費がかかろうが開発費がかかろうが値段が高騰しようがなんとなく納入されて誰も節約しようとか考えないんですけどね。それに、一兵卒にも利点はある。何も考えなくていい、心配しなくていい立場なら一日の仕事が終われば安心して飲みに行ける。どっかのお若い上官が「これを修理するまでは上陸不可」などと言い出さなければ。

 結局、士官と下士官兵の違いは何か。それはチェス・プレイヤーと駒のような関係かもしれない。負けたらプレイヤーのせいである。しかも駒は生きている。最大限の能力を出せるよう駒を訓練し、信頼関係を築く必要もあるだろう。え、ポケモン?よく知らないんだよな…。やっぱコーチと選手にしとけば良かった。
 たとえ駒が途中で溶けようが爆発しようが将棋のように相手側の戦力になってしまおうが対戦相手が異常に強かろうが責任を取るのは駒ではない。駒を思った所に時間内に動かす勇気と正しい判断力がなければ負ける。数手先を見越し、取られると判っている場所に駒を置かなければならない場面もある。戦争に待ったは無しだ。その度胸のある奴だけが、士官としてふさわしいのだろう。いや、書類仕事もこなせないとアレですけど。