ベルリンの夜: 遥かなる東西冷戦

まだ通行が自由だった頃のベルリンのブランデンブルグ門

プリーブ時代の重要性

士官学校の学生であるところの士官候補生は軍人の端くれである。しかも将来は士官として大人数の部下を抱え指揮を執る立場である。だから一年生*の時は命令される側をみっちり体験させられる。これはイジメなんかではなく、指揮官として成功していく上での本当に大事な訓練期間なのだ。自分のやるべきこと,正しいことをいつも行うだけでなく、まわりの状況を見て必要なら他人を助け適切に行動せねばならない。複数のタスクを平行して制限時間内にやらねばならない。正確に大量の情報を記憶し一瞬で引き出せるようにならなければならない。
出来ない、無理、事故、自分のせいじゃない、つもりだった、などという台詞がまったく選択肢にない24時間拘束の一年間。ストレスに強くなる。いつでも冷静になれる。どんな悲惨な想定外が噴出しても焦らず優先順位をつけ,あるいは同時進行で解決していくことが出来るようになる。出来ない奴は耐えきれずやめていく。辞めていくように仕向けるのが慈悲というものなのだ。未来の悲劇を回避する為に。

 *アメリカの士官学校の一年生はプリーブと呼ばれる。初年兵みたいなものであるが、怒鳴られはしてもシバかれはしないので安心してね。殴られもしないしどつかれもしません。ただ毎日疲れることは間違いない。少しでも楽になりたければ、目立たず騒がずまわりにとけ込む術を会得するしかない。この場合の目立たないとは大人しいとか地味とか内気という意味ではなく、先輩に目を付けられるような言動をしないという一点にかかっている。いつもきちんと行動し一年生候補生としてあるべき姿と職務を全うし威張らずへつらわず過剰にならない程度に自信ある態度で過ごせばよい。逆にうざい奴トロい奴勘違いしてる奴は目を付けられ思いつく限り時間の許す限りの質問攻めや命令攻めに遭うので本当にご飯食べる暇がなくなる。

陸軍士官学校のカデット

そんな大変なのになんで若者が自ら士官学校に入っちゃうのか。第一に愛国心。第二にステイタス。いやその前になんか入るかもしれないけど義務感とか使命感とか、とりあえず全部愛国心に入れちゃいました。ええ、意味よくわかってないです、はい。で、公務員なんで多少の役得というものがある。士官候補生の場合、給料支給で豪華な施設でのお勉強と高価な機械での軍事訓練がもれなくついてくる。寮の部屋はスパルタンなまでに機能的で清潔だしぃ、海軍兵学校なんかいまやエアコン付きだしぃ(畜生!即刻廃止しろ)ケータイ電波状況もバー2本以下は堅いしぃ、駐車スペース足りないから足腰の鍛錬になるしぃ、持病があったら入れてもらえないけど医療費も歯科治療費も学校持ちだぜ!

そして卒業した暁には世界中に厚生施設散らばりまくりのの絶対倒産しないブルーチップ職場が待っている。就職氷河期などという概念とはさらさら無縁。しかもいきなり経営陣扱い。だが、士官である限り、軍人である限り一度も戦場を経験することなく無事引退できるとは限らない。好きなときに辞める権利などないのだ。戦争が始まれば若く経験の浅い士官が前線で指揮を執ることにならないとも限らない。ゆっくり経験を積んで賢くなる時間はない。部下に命令を下さなければならない。とっさの判断を迫られる。そのとき、プリーブの経験が生きてくる。

海行かば 山行かば

消火訓練

例えば、深夜、ベトナム。重巡の第二砲塔の中央銃身で過早破裂、18名即死、煙と火で34名負傷。弾火薬庫への延焼は誘爆を引き起こし、悪くすれば爆沈、海の藻屑となることを意味している。
まだ中には人員がいるが、全乗組員1400人を救うには今そこを完全に水没させなければならない。黒煙と炎熱と腐食性ガスの混乱の中、注水の命令を下したのは艦長ではなく技術中尉。現場の生存者中で最上級の士官だった。後に火薬庫から2名の死体が見つかる。検死により肺から水が。溺死したのだ。千名以上の命と引き換えに。
退避命令は出した。砲塔内部に捜索救助隊も送った。だがガスマスクが足りずダメコン全員を動員できない。スプリンクラーでは温度上昇を止められない。どす黒い煙に阻まれて視界がきかない。防炎耐圧水密扉を閉めなければならない。何もかも終わりになる前に。一体どこの民間大学でそんな事態に遭遇した時の対応を教えるというのか。他者の生死を決定する決断を下す精神力と、何があろうとも結果に責任を取る心構えを誰が教えられるというのか。

M1A1 Abrams

あるいは中東の午前一時。飛行場を目指し侵攻を続ける装甲騎兵部隊。もう60時間寝ていない。弾薬は尽きかけ、砂漠に雨が降っている。砲弾も降ってくる。戦車の一つは進行方向を間違えており、もう一つは履帯が外れた。自分の戦車は地割れに向かって直進し、気がつけば戦車隊は自軍の地雷原に迷い込んでいる。主力部隊からは引き離されつつあり、正面にあるべき目標は右側方に発見されているのにまともな地図もなく、単一周波数発信器しかない戦車群に向かって上官がひっきりなしに自分の使っている周波数に変えろと怒鳴っている。視界はほぼゼロ、化学兵器の使用された様子もあり自分は体調が悪く下痢気味だ。
大隊からは重装備の敵兵500が目標に位置すると告げてきているが実はそれはわが国の技師団であり、自分の隊からは緊急情報の更新が相次ぎ、副官からの緊急情報更新が入り、作戦特務士官が緊急情報を告げ、諜報特務士官と先任曹長が我先にと緊急情報を更新する中、砲手が降車人員を発見してしまう。

米軍海兵隊戦車

その刹那、突然思い当たる。そうか、そうだったのか。この時の為に、全てのプリーブは訓練されていたのだと納得がいく。一年に亘る絶え間ないパニックモードは無駄でもいじめでもない。大量の脈絡のない情報を瞬時に記憶し分類し解析し、素早く最適解を出すための神経系を養う大事な期間だったのだ。しかも生死に関わりない安全な状況下でだ。あのシステムを考えだした奴に給料の一ヶ月分をやりたい気分だ。そう振り返る当時少佐の言葉が聞けるのも、ひとえに彼が生き延びて還ってきたからに他ならない。

逆差別反対!鉄は熱いうちに鍛えよ

戦いには勝たねばならない。他人を率いその生死を左右する権限を持つ者に不可欠な要素とは。どのようなストレスにさらされようとも動じない平常心。職務に不可欠な何十ページにわたる対応の手順の全てを記憶し、しかるべき状況下に置いて決められた措置を間違いなく行える頭脳。必要な資源や人材が欠けた場合も即座に応急案対応案を出し、職掌の違う部下に文句を言わせず別の役割を迅速に行わせることが出来る指導力。職業倫理と人間としての尊厳を踏まえ、決してブレない行動の基準。上官にへつらわず部下を甘やかさず、どのような事態にも安心して仕事を任せ、命を預けられる相手。これら全ては士官学校の4年間で身に付くはずの基本姿勢。能力は入学できた時点で充分あると見なされているのだから。

対して負け戦の将とは。怒り焦り心配し刻々と変わる状況に右往左往し、部下や船や部隊や国の利益より自分の昇進の可能性を潰さないことを優先し報告には目を通さず提言には耳を貸さず、世辞に褒賞を与え過失は他人に押しつける。保身のためひたすら安寧と無失点を心がけ最低限のことしかせず大勢を考慮せず自己の地位が確立するまでは低空飛行を心がける。

アナポリス海軍士官学校 シートライアルの一場面

こういうハズレを若いうちに鍛え直し、治らなければ間引くのがプリーブの一年間であり、4年間の訓練と生活管理と厳しい倫理規定であるはずなのだが、この網に漏れてしまい間違って任官まで漕ぎ着けてしまう人間がいる。その多くは少数民族や女性など、機会均等人種別優遇措置により入学した者たちだ。彼らはクォータと呼ばれる。あらかじめ各年度の何%の候補生はこの枠から取らねばならないと決まっている。もちろん女性や非白人男子にも能力に秀でた者は多い。ただ、割当制度がある為にそうでない者までが入学してしまう。単純に能力や体力や学力順であれば入学できていたはずの人物を押しのけて。

そもそも大変な思いをすることが明白な士官学校に入りたい人間は限られている。その中でマイノリティや女性はさらに少ない。数が足りない。だから申し込んできた全員がうっかり受かってしまっても無理はない。そして、そういう連中は「差別だ!」の一言で他の全員がくぐり抜ける試練をかいくぐり、たいした精神修行も鍛錬もせずに卒業してしまうこともあり得るのだ。どうしましょう。

軍用機乗り放題

座席積み込み中の軍用機 中には民間機並みの座席を持つ軍用機もありますが
メタル枠に網のほうが普通

士官候補生、特にプリーブは一応どこに行くにも許可証をとるか連絡先などを申告することになっている。が旅先で事故りでもしない限り休暇中どこへ行ったかなんかわからない。日本の銀行員とは違うのである。そのうえ空軍基地から世界中へ毎日飛行機が飛んでいる。エアリフトで海外のハブ基地へ着いた後はさらにその地域内各地へ飛ぶ便がある。基地からレンタカーもあるし、やりたければユーレイルパスでもヒッチハイクでも何でも出来る。また卒業した後もヒマを見つけて外国に旅行する機会はたくさんある。その割には軍人というのは真面目に職務を優先しあまりあちこち飛び回らない。

まあアメリカ人というのは外国なんか行ったこともない奴に限って自国の優位を心底信じきっているし、自分の村(町ですらない)から出たことないのが自慢の人間も多いので不思議ではないかも。ここらの地元民の感覚でいえば遠くから来た人はすべてボストン民であり、その向こうに世界はなく滝になっているというのが一般見解である。ともあれそんなにらくちんに海外に行けるのになぜ軍人全員がその恩得を享受しないのかは謎であるが、まあ仕事もあり家族もいるのでは時間は取りにくかろう。だが中には外国に興味を抱く独身で縛りのない若い連中もいる。

憧れの欧州卒業旅行

その中の一人、某士官学校を卒業し一応海軍士官となった男が昔のルームメイトを誘ってヨーロッパに行こうという話になった。卒業直後にはお休みがもらえるのである。欧州旅行など初めてのことではないし現地事情には詳しいので下準備なんかしない。だがこの時に限ってお荷物がくっついてきた。単にその話をし始めた時に部屋に入ってきた男に社交辞令で一緒に行くかと聞いたらうんと言われてしまって後に引けなくなっただけなのだが。こいつ、仮にオマケちゃんと呼んでおこう。ケビンだけどね。このオマケビン、悪い奴ではないのだが真面目一方。それもママの言い付けは聞く教会へは通う良い悪いにかかわらず規則は守る期待されることは全て行うがそれ以上は決してしないという筋金入りのウザい奴。自分でもイケてないことは重々わかっているので誘われて嬉しかったのだろう。日頃のクソ面白くもない行動範囲を外れて未知への旅に参加してしまった。

さて、旅の空で必要なのは臨機応変な心持ち。突発的に何が起きるかわからないし、計画したからと言って全てがうまく運ぶとは限らない。現地人ではないのだからいつでも最善のレストランやホテルや抜け道を知っているわけじゃない。そのかわりハプニングでとても面白いことに遭遇したり、親切な人に出会うこともある。だがオマケビンちゃんにはその辺の機微がわからない。予定の変更に耐えられない。予定なんかするからいけないのだが決めずにはいられない。それだけならまだしも機転が利かず、ことごとく機会を潰してくれる。

だんだんオマケが重荷になってきた旅慣れた二人だったが、そこらに捨てるわけにもいかず我慢しながら適当にあしらっていた。オマケも士官学校の同期だが、何しろクオータである。こう言っちゃ悪いが頭の切れ方は一段階下がる。お勉強は真面目にするし、マイノリティ割当入学とはいえ黒人上流家庭*の出なのだが、融通と覇気に欠けることこの上ない。親が弁護士でも子供が能力を受け継ぐとは限らない。だがこの割当制度のおかげでオマケはめでたく海軍士官になることができ、遊び人として名を馳せた男達とヨーロッパ卒業旅行も出来たというわけ。

* ずいぶんな言い様だが、公民権の盛り上がり以前は今みたいにアフリカ系アメリカ人といえばラッパーかギャングかシングルマザー福祉べったりなんてのじゃなかったのです。普通に仕事を責任もってこなし法律を守り家族の絆を大事にする中流階層と、医師や技師、弁護士などの専門職を持ちお金もあり品もあるという上流階級がありました。コンデリーザ・ライスさんちとか。ただし、大抵はクライアントも黒人に限られ、多くは黒人向け大学を卒業し白人社会と平行して存在していたというだけで。それだって弁護士や医師の試験に黒人枠などないのでどこから見ても優れた人材だとはっきりわかったわけです。それが今じゃ、何をしてもどこまで登り詰めても「どーせクォータでしょ」と言われてしまいます。本当にデキる人にはどんなに悔しいことか。割り切ってこのアファーマティブ・アクションを逆手に取る人がほとんどではありますが。。。しかもかつての黒人上流中流家庭という存在は白人に尻尾を振る態度とされて絶滅寸前。子供に父親がいて真っ当な仕事に就くののどこが悪いんだよ。いい加減にしろよ。こういうこと書くとアメリカに住んでない人にはすごい偏見の持ち主に見えちゃうんだろうなあ。あ、中南米系の色黒の人はよく働きますよ。

懐かしの東西冷戦

ベルリンのブランデンブルグ門

ともあれ、軍用機でドイツのハブ基地フランクフルトに着いた一行はレンタカーで欧州のあちこちを回り、その後元に戻ってベルリンを目指した。なぜって、ベルリンは東西のいろんな人や文化の坩堝。東ドイツに包囲されてる緊張感に加え、訳ありの人物や事項に事欠かない大変興味深いエキサイティングな場所だったのだ。夜遊び含めて。ここで若い人に注釈。当時は冷戦といって、共産圏というかソビエト連邦とその支配下の東側陣営と、資本主義で自由の国で正義の国であるアメリカ率いる西側諸国が対立しておりました。

封鎖された西ベルリンに物資を空輸するC−54封鎖された西ベルリンに物資を空輸するC−54

昔スパイものが流行っていたのは、この東西両陣営の駆け引きやら敵側にとっつかまったら殺されても文句言えない状況があったればこその緊張感が堪らなかったからなんですよ。
なかには国が東西に分断されているドイツのような場所もありました。ベルリンは西側でありながら東ドイツに位置し、観光客や家族がそこに行くには東側の領土を通過せねばなりませんでした。西ベルリンはぐるりを高い壁で囲まれ、東側は亡命を阻む為に武装した警護兵と警察犬がうろつく危険地帯。この壁を越えようとして撃たれたり対人地雷に穴だらけにされたり、捕まって殺されたりした人がたくさんいたのです。

または封鎖され陸の孤島と化したベルリンへ物資の空輸が行われたことも。1年以上に渡り、生活物資の全て、ミルクから石炭までがピストン輸送で運び込まれました。このような状況下でアメリカ政府は米軍人の東側陣営国への渡航・立ち入りを禁止していました。もちろん、西ベルリンへ行く為に東独領土を通過するだけの列車や飛行機も含めて。とはいえ別にパスポートに軍人ですと書いてあるわけではないので、単純に観光客として列車などに乗ってしまえばバレることなどありません。そう、普通ならね。

ベルリンで車両検問中の東独の警官

さて、普通の格好で普通の荷物を持ち普通の観光客としてベルリン行きの列車に乗り込んだ二人+オマケ。国境で車内に乗り込んできた警備兵に普通に身分証明書の提示を求められた。毎日何度もやってる流れ作業の手続きであって向こうもそんなに真剣にチェックしてるわけじゃない。西側諸国の国境だって似たようなものだから焦る必要なんかまったくないのだが、どうもオマケの様子がおかしい。夏とはいえ暑くもない車内で全身汗びっしょりになり震えているのだ。本当に体が見てわかるほど打ち震えるとか普通じゃない。 もしかして規則破ったストレスなのか? それとも今の今まで軍人が東側に入っちゃダメなこと知らなかったとでも言うのか?

ベルリンで歩行者検問中の東独の警官

どっちにしろ彼は最低最悪の状況を選んで発作を起こしてくれたのである。当然ながらまったく普通の様相を呈していないオマケが警備兵の注意を引きまくったことは言うまでもない。3人が連れであることはもうバレている。4人掛けの個室じゃ逃げ場もない。問答無用で二人もオマケと一緒に車外へと連れ出された。何事もなくホームを去ってゆくベルリン行きの列車を見送る暇もなく、ゴツい車に押し込まれるアメリカの青年3人。
三人が連行された先は東独軍の基地だった。


ベルリンで検問中の東独の警官

早速MPに尋問される。名前、国籍、軍に所属しているのか、階級は、なぜベルリンに行こうとしたのか、何をしにいく予定だったのか、東側で一体何をするつもりなのか、スパイなのか。
やがてひとりづつ別室に入れられ尋問続行。この時点でオマケが何をしたか言ったかは不明だが醜態を晒したであろうことは間違いない。まあ軍のIDは荷物の中に入ってるし、いまさら嘘ついても仕方ないので素直に聞かれたことに答える二人。どうせオマケがいわなくてもいいことまでしゃべっているに違いない。全員の言葉を一致させるには本当のことを言うしかない。はい、僕たち考えなしのバカ軍人です。アメリカなんてこの程度です。

その後また一緒くたに一室に閉じ込められた3人。何でオマケなんか連れてきちゃったんだろうとの後悔に苛まれる二人と、なんでこんないい加減な二人についてきちゃったんだろうとの自己憐憫に蝕まれるケビン。そんな葛藤を無視して真夜中に現れた東側の軍人たちに促され、銃口を背中に感じながら囚人護送車の最後部に押し込まれる3人。金網付きの窓からは何も見えない。真っ暗な道をひた走る車。
やがて護送車が止まり、無言で外に引きずり出された。どうなることかとおもいきや、3人の荷物を投げ捨てると東の軍人たちは全員また車に乗り込み去っていった。俺たち、助かったのか?ここどこ?

ベルリンの壁崩落で公式開通行事を待つ東独の警備兵

そこは国境にほど近いフルドという小さな町だった。なんとわざわざ駅のあるところまで西側の領土を走行して連れてきてくれたのである。しかも所持品は総て元のまま。国境で有無をいわさず裸同然に捨て置くことも出来たのに。意外と親切な東ドイツ軍であった。もしかしたらケビンのあまりの惨めさ情けなさにスパイ容疑がおもいきり晴れたのかもしれない。こんなアホな3人組に妨害工作なんか出来るわけがない。いくらアメリカが能天気でもここまでどうでもいい無害な馬鹿者・・・若者に危害を加えたら国際問題にされかねないから、自分らに無駄な手間ヒマかけさせたお仕置きとしてちょっと拘束した後、どっかに捨ててこようという結論に至ったのかもしれない。

何にしろ終わりよければ全てよし。時刻表を見れば朝まで列車は来ない。駅舎は閉まっている。ホテルなんか開いてるわけがない。しょうがないので露天プラットフォームの固いベンチで夜を明かし、7時半の始発でようやっと文明社会に戻った3人であった。そのほとぼりも醒めぬ翌々日、性懲りもなくもう一回ベルリンへ行こうとしてオマケちゃんに断固反対され苦虫をかみつぶした二人が自分たちの社交辞令の滑らかさを呪ったことはいうまでもない。だってさー、他にもいろいろあったんだよオマケときたら。要領が悪いだけならともかく疲れることしてくれるんだこれが。
そう語る男は思い出しただけでも疲れたようだった。

チェックポイントチャーリーに関する博物館の展示

ついにしびれを切らした二人はオマケだけ先に帰してまたもやベルリン行きの列車に乗りこみ、余裕で東ドイツを通過し西ベルリンを満喫、チェックポイント・チャーリーから東ベルリンの一日見物までして帰ったのでした。めでたしめでたし。

これで皆さんにもよくわかったことと思う。なぜプリーブ時代の訓練が必要なのか。なぜストレスに弱い奴を間引かねばならないのか。なぜクオータが危険なのか。冷や汗たらたら流して震えて東側にとっ捕まったのが笑い話で済んだのは運がよかっただけだ。君がそれほど幸運であるとは限らない。これが本物の戦争中だったら。オマケが君の上官だったら。笑い話を語れるほど長生きしたければ、職務不適格者の間引きシステムがうまく働くような社会を作らねばならない。投票でも立候補でもいい。政治は真面目に考えよう。

あのね、クオータが大統領になることだってあるんですよ。痩せても枯れてもアメリカ合衆国の大統領にして全軍の統帥。それが無能だった場合の世界に及ぼす影響力の恐ろしさについて考えてみて下さい。え、お猿さんだった場合はって?よくわかんなーい。誰のことかなあ?


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