士官学校卒業式Part3: オベリスク頂上攻略作戦

アナポリス海軍士官学校 ハーンドン・モニュメントの頂上の士官候補生の制帽

アナポリス海軍兵学校スペシャル

ハーンドン・モニュメントは灰色花崗岩のオベリスク。21フィート(7m)の高さ。アナポリス海軍兵学校の校庭(キャンパス。ヤードと呼ばれる)に立つ記念碑である。学年の最後、卒業式の数日前に最下級生がこれに登り、頂上に置かれたディキシーカップ(水兵帽、プリーブサマーの間被らされていたもの)を士官候補生の制帽(カバー)に取り替える。これが終わるともうプリーブ(最下級生、大学一年生)ではなくなる。失われていた人権*が帰ってくるのだ。プリーブス・ノーモア。

 *アムネスティ・インターナショナルがキャンペーンを張っても良さそうなものだが内偵にすら来た事がない。入学できる人材がいないのかも知れない。憲法護持の宣言をしたばっかりに一年間剥奪されていた人権がついに一部戻ってくる節目の行事なのだから駅張りポスターになってもいいと思う。

なぜ登るのか。そこに伝統があるから。

アナポリス海軍士官学校の校長と教頭とアッシー君

アナポリスの卒業式に先立って行われるこの行事は素直にハーンドンと呼ばれる。一年生の家族や卒業生の偉い老人および中年達、校長教官他の大量の観客が見守る中、景気付けのバンド演奏と由来や歴史を説明するアナウンスに続き号令一下、千人以上の若いもんがオベリスクに走りよる。たかが7mの石柱の頂上に登るのにそんなに人数が必要なわけがないがスタンピード。そのくらいの勢いがないと場所取りして待っていた数千人の観客が納得しないのであろう。


アナポリス海軍士官学校のハーンドン・モニュメントに一斉に走り寄るプリーブDamn The Torpedoes, Full Speed Ahead!
魚雷何するものぞ、全速前進!の掛け声の元、
一斉にオベリスクに走り寄るプリーブ

最下級生、プリーブは千人以上いるんだし、それほどの高さではないのだから組体操の要領でやれば時間がかかるわけがない。実際この登攀が始まった頃は1分程度で制覇できていた。
ところが今や頂上征服はそれほど甘くない。というかそんなに簡単なら伝統行事にはならない。プリーブ最後の試練ともなればそれなりの難易度が伴わずば達成感も得られ難し。いくら直前にシー・トライアルなどという海兵隊の訓練を真似た泥まみれ苦行難行を半日やってのけたからってハーンドン頂上征服=プリーブでなくなる瞬間の重要さは変わらない。では何がハーンドンをそれほどの難関とするのか。

ラードを塗られたアナポリス海軍士官学校のハーンドン記念碑

まず、モニュメント全面に思いきり分厚くラードが塗られる。200ポンドは下らない。100kg前後。真っ白、ベタベタと言うかヌルヌルというか、ブタの脂身エッセンスである。手についたら拭ったくらいできれいになる物ではない。これをまず手刀で削ぎ落す。そこらへんに捨てると足元が危険なほどツルツルになるのでなるべくきれいにTシャツなどで拭おうとするが、結局大勢で着てる服(体操着)や靴や靴下を脱いでオベリスクに投げつけ、下から少しずつラードを落とす事になる。

石柱の根本は上級生がご丁寧にもじゃぶじゃぶのぬかるみにしてくれているから泥と油にまみれて悲惨な状態。必死でラードを掃除してる間もホースで水をじゃぶじゃぶぶっかけて下さる。暑くて熱射病になるといけないというご親切な理由である。ずぶぬれの上油まみれの人間がなんとかピラミッドというか人間の壁をオベリスクの四方に作り頂上まで誰かを送り込もうとするワケだ。そういうのが嫌いな連中は遠巻きである。頭がいいとも言える。

オベリスクの下で踏みつけられる縁の下の力持ち

だがガタイのいい奴はイヤでもリクルートされ縁の下の力持ちをやらされる。踏みつけにされ重いし豚脂クサいし崩れたら自分のせいだし悲惨である。終わるまで数時間かかる事もあるので崩れる度に人間壁の顔ぶれは変わるが目立つのは一番上にいく身軽な奴。まるで人生の縮図ですね。

今はどうしても参加したくない人用に特別区域が設けられているようだ。かつてはなかなか距離の取り方が大変だったという。体操着くらいは投げるけど、油まみれの足に踏みつけにされその肩や頭に4−5人分の体重を支えたり怪我したくないってまともな神経の人間は。


アナポリス海軍士官学校の行事のひとつ 人間ピラミッド

とはいえ酒とヤーさんが入らない分、三社祭よりは格段に危険度が低いと言える。脳震盪の危険もあるボクシングの必修授業と違い、怪我といってもなぜか打ち身擦り傷程度で済んでいるのだ。メリケン士官学校における本場の若いヤンキーは健康度も抜群、頂上付近から落下し顔から泥沼に落ちても怪我などしない。2次元並みの回復力。ちなみにヤンキーというのは北部では侮蔑語じゃないが南部の連中の考える事は知りません。説明してもらっても訛りがひどい上に喋るのゆっくり過ぎて途中で寝そうになる*から結局わからないと思う。

  * ブルックリン育ちなら13秒かからない内容を3分以上かけて喋るのが深南部。全米で最も平均年収の多い麻酔医など教育のある人間ですらそうだ。え、まだその単語言い終わってなかったの、レベル。ただし南部人のマナーと社交度はヤンキーの3万倍くらい優れている。礼儀が行き届きすぎて本当に友達になれたかどうか死ぬまでわからないと南部に引っ越した人間は口々に言う。これが最北部なら簡単にわかる。一生友達になれない。ていうか血族以外視界に入ってない。比喩じゃない。ただしイヌは除く。他人のでもイヌにだけは挨拶する。崖から落ちかかっててもイヌだけは助けてくれるのは間違いない。

アナポリス海軍士官学校の行事 人間壁

ホース放水量やラードの量などは前年の怪我人の有無や達成にどのくらい時間がかかったかによって変わる。実際危険だからというのでラード塗布を禁止された年の頂上征服にかかった時間は2分ちょっと。そのときの校長は金遣いが荒く職を追われたが、翌年からのハーンドン禁止を発表したのが祟ったという噂も。伝統を重んじるアナポリス海軍兵学校の卒業生たちが自分達がやらされた自己犠牲精神を尊ぶ苦行の廃止を許すわけがない。

アナポリス海軍士官学校の水兵帽 ディキシーカップと呼ばれるこの水兵帽はディキシーカップと呼ばれる

またルールもたまに変わる。例えばディキシーカップがアメリカの質の悪いベタベタの銀色ガムテープでグリグリに貼付けられていて外れず数時間かかった翌年からはガムテ禁止。同様に強力瞬間接着剤も禁止。2−3時間で終わるくらいにしておかないと観客も疲れるし後片付けが夜になる。開始が午後だから夕食前のフォーメーションに間に合わないとたぶんマズい。昔は金曜の午後4時、1986年からはずっと午後2時ジャスト開始だったのだが、2004年は平日朝9時に。

アナポリス海軍士官学校の行事に参加する士官候補生

週末に付近のホテルが満室となり卒業生の家族があぶれるのを防ぐ意味で。大して効果がなかったのか、以降月曜午後1時30分開始に。

さて、毎年計画的に攻略しようとする才子が出るが、毎年お祭り騒ぎの好きなナイキスローガンが生きて歩いてる様な連中のノリに圧倒され、その場の勢いの人海戦術に否応なく落ち着くことになる。カオスである。どのくらい混沌としているかというと。

アナポリス海軍士官学校で水着や半裸でハーンドン・モニュメントにたかる下級生スク水・体操着・濡れT・ブルマーと揃っているのに嬉しくないのはなぜ

大昔に女子が一番上に登りかけて男に引きずりおろされたとかノーノー!コールが沸き起こったという噂がある。だがそこに居合わせた複数に聞いても見えなかったし聞かなかったと言うばかり。庇立てするほど同期を愛してない女好き連中の証言から鑑みるに、ハーンドンやってる最中は全員叫んでるし疲れてるしひっきりなしに上から人間が落ちてくるし10分ごとにタイマー代わりの大砲が鳴るしでカオス過ぎてそんなの到底気がつかない薮の中状態。もうちょっとで落ちる奴など珍しくもないので、誰も気にしなかったようだ。だからいまだに噂の域を出ない。せっかくいけそうだったのが落ちるのをみてノー!と叫ばれた可能性もある。何しろ早く終わってプリーブでなくなりたいのはみんな同じなんだから。

アナポリス海軍士官学校にあるハーンドン記念碑に登る為の壁を築く士官候補生達

それでも時間が経つうちに、これはいくら何でも肉弾戦では解決しないと全員が思い始める。下手すると自分達の期が史上最長記録を更新してしまう。もうお祭りはいいから早く終わらせようという理性が戻ってくる。だから最初からそうしようって言ったじゃん、などと取り返しのつかない事をぼやくような人間には誰一人教育されていないので、片手に帽子を持って石柱にかじりつく技がありそうなロッククライミング部や元チアリーダー(絶対いないけど)などで体力の残っていそうな小柄なのを集め、まだヌルヌルになってない生徒(がいるとすれば)の人間足場を組み始める。足場が安定するまでは絶対登り始めるなと釘を刺す。特に一度に複数が登って足場を崩すのはやめろと言い諭す。チームワークの重要さを知る。なんという後付けの教育効果。

新たなる伝統の始まり

ハーンドン記念碑登頂に成功する学生

で、一番上に登って帽子(カバー)を置き換えた人は校長の肩章を貰うのが伝統だ。何、まだ貰ってない?早く行って来い!上級生に言われ、園遊会で校長が貴賓をもてなしている最中に大声で校長の傭人に用がある旨を告げる。なぜか校長が視界から消える。が、再度バルコニーに現れたところをすかさず捉え、ハーンドンモニュメントの一番上に登ったのが自分であり、肩章をいただきに参りましたと胸を張って言う。

で、校長の怪訝な目つきで自分が思いきり担がれた事を知る。目の前が暗くなる。しかしその時救いの神が。何も知らない彼の両親が後ろで満面の笑みをたたえて校長と彼を眺めていたのだ。お陰でお目玉を食らうのは免れた。そのうえ両親が園遊会に招かれてビールをごちそうになるハプニング付き。


アナポリス海軍士官学校校長の肩章付きプレートを授与されるハーンドン・モニュメント登頂成功者肩章付きプレートを授与されるハーンドン・モニュメント登頂成功者

しかも少し席を外した校長が携えて来たのは、なんとお古の海軍中将の肩章。校長やるじゃん。こうして本当に肩章を受け取る事が出来た一年生、次のフォーメーションにはしっかりその肩章をつけて出た。もちろんその候補生フィリップは無事プリーブからヤングスター(2年生)になる事が出来た。めでたしめでたし。これが1970。

しかも!それが新たな伝統となった。今はストーカーにならずともちゃんと校長の肩章付きのプレートを貰える。瓢箪から駒。といっても割と最近の話。それまでは校長の帽子を一週間冠らせてもらえたりした。その制帽で外出すると皆が敬礼してくれて面白かったという。そりゃ帽子に金ぴかの模様(スクランブルド・エッグという)付いてるし、目立つわな。教頭までが敬礼してくれたそうだ。なお、毎年一番上に登ってディキシーカップ(水兵帽)をカバー(制帽)に替えたプリーブが同期のうちで最初に海軍大将(アドミラル)になるという言い伝えもあるが証明は全くされていない。

その言い伝えを後押ししようとでもしたのか、1973年の登頂に際し別の校長が自らアドミラルの肩章を与えたという説もある。こちらの受取人名はラリーである。どっちにしてもフィルもラリーも最初のアドミラルにはならず、同じ中隊の奴が最初に海将になったんで、まあお役所だからそのくらいの誤差はあるだろうということで同期も納得したようである。

ハーンドン登頂の歴史

ハーンドン・モニュメントに登る行事に参加するアナポリス海軍士官学校の女子候補生

この行事はいつ頃始まったのか。はっきりとはわからないが1907には何やら石柱の周りに集まり始めていたと卒業アルバムにある。元々はヤードで行われていた卒業式のあと、一年生が卒業生に握手してもらいプリーブでなくなると、その喜びをこめてスネークダンスをしながら(え)今まで歩く事を禁止されていた「恋人達の小道」を歌い踊りながら練り歩き、最後はハーンドン記念碑のあたりにたむろって「もうプリーブじゃないんだ!」と叫んでいたのだそうだ。一年生にとって「恋の道」を歩く事ばかりか男女交際が一切禁止されていたようで。だが卒業式がスタジアムでの開催となって以降はハーンドン登攀行事はジューンウィークの最初、卒業式の前に行われるようになったとの事。

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写真に残っている最古の記録は1940年。記念にいっちょ登って写真撮るか、なノリだったようだ。'47には頂上に制帽(カバー)が置かれた。55年にディキシーカップがカバーに置き換えられるように。最初に到達時間の新聞発表があったのが’60で12分。公式記録は’62に貨物用の網をモニュメントに被せて3分。最初にグリースまみれにする事を考えついたのが1949。それが毎年の恒例になったのは1970年代中盤。このグリースのせいで最初白の礼装でやってたのが水兵服に、やがて体操着に取って代わる事となる。銃器や船舶用の防錆剤からリチウムグリースなどいろいろお試しの末ラードに。

アナポリス海軍士官学校の候補生の制帽

今までの最短記録は1969年の1分30秒。最長が1995年の4時間5分17秒。次が1982年の3時間12分23秒。それ以外はほぼ1−2時間。もちろん2010年のラード抜き記録2分5秒を除いて。アナポリス海軍士官学校が新しい校長を迎えてのち、また無事ラードありの帽子交換行事になりましたとさ。めでたしめでたし。

ウエストポイント陸軍士官学校の場合

ウエストポイント陸軍士官学校の肩章

堅実に、卒業式の直前に最上級生の班長さん達がプリーブの肩章の盾の向きを変えてくれます。あとは握手。それだけです。意味もなく脂にまみれるなどはしたない真似は致しません。とにかくこれでやっと下の名前で呼ばれる権利が生まれるのです。テレビのある娯楽室に足を踏み入れても良いのです。もっとも、夏休みの訓練を経ないと本当の2年生とは呼ばれないのは海軍も陸軍も同じです。

おまけ:クロッケー対抗試合30年の歴史

アナポリス海軍士官学校対お向かいさんのクロッケーの試合

アメリカの士官学校では卒業式の前に多くのイベントが開催される。最低でも一週間前の金曜からお祭り気分。朝から晩までスケジュールびっしり。多くは表彰式やコンサートや舞踏会やパレードなどだが中にはかなりユルい行事も。そのひとつがアナポリス海軍兵学校の向かいのセント・ジョンズカレッジとの対抗クローケー試合。日本で言うクロッケー。ゲートボールの前身。たぶん。知らんけど。

スポーツに燃えるアメリカの大学対抗でどうしてユルい試合になるのか。日本の町内老人対抗のゲートボールですらストレス性卒中で死者が出ないのが不思議なほど真剣勝負なのに。それは両校の余りにも違いすぎる校風による。片や公立でお国の為に尽くす心身ともに健康な頭脳明晰な若者、専攻は主に工学の理系。

アメリカの着色料満載アイシングのせカップケーキを平気で食べられるようになればあなたもアメリカ人これを平気で食える=アメリカに長く居過ぎた証拠

だがお向かいは専攻がたったひとつ、古今の西洋名著百選をひたすら読むマニアックな学校。その創設は兵学校より古く、特殊という点では士官学校と五十歩百歩かもしれない。セントジョンズではなにしろ人生に普通に役立つ知識は全く勉強しない。いざという時フルに頭脳を使えるよう、考える力を付けるのがリベラルアート(教養)大学の究極の目的であり、哲学や文学の足元にも及ばぬ実用などという下賎な目的の追求は労働階級に任せておけば良いのだそうだ。あ、でもアナポリス海軍兵学校は教養学部でもまさかの全米一位*に選ばれたらしいよ。(ソース:オバマ大統領)ごめんね、存在意義足元から崩しちゃって。

* もちろんこれには縛りがあって、「国公立の大学としては」一位。国立の学校なんて数えるほどしかないという落ちなのだがそこ端折った大統領演説があってね。。。私立も入れたら12位に転落。ああなんて正直な自分。


アナポリス海軍士官学校 ハーンドン・モニュメント点数係に餌付けする海軍士官候補生

そういうわけで果てしなく接点のない両校の間で友人やカップルの出来る確率は非常に低い。たとえ交流があってもすぐ自然消滅する。士官学校のスケジュールが厳しいだけが理由ではない。例えばの話、アナポリスは観光地であり、州都でありセイリングのメッカであり話題には事欠かない。だがたとえ三日連続でアナポリスの街について話し込んだとしてもセントジョンズの名前はいっかな出ないだろう。海軍兵学校の話題はおそらく最初の数秒以内に出る。何しろ街の名=海軍兵学校なのだから。対抗意識以前の格差である。
格差と言えば、過去にはセントジョンズの土地没収して取り壊し海軍兵学校の敷地にすると公式にどこかの長官が宣言したくらい。なぜまだブルドーザーのお世話になっていないのかは不明。とまあ、本の虫のお向かいさんに疎まれる理由には事欠かない。

2013クロッケー対抗試合の結果発表あ、ごめん・・・

しかしいくら何でももうちょっと一緒に何かしてもいいんじゃない、というのがきっかけか酒場での賭け*の顛末か知らないが1983年から両校対抗のクロッケー試合が行われるようになった。もちろんスポーツで本気を出して士官学校が負けるわけにはいかないのだが、毎回文系をぶちのめしても面白くないし、何しろクロッケーであるから当然そんな部活が士官学校にあるわけもなく、わざわざ練習する時間の余裕もないので適当に勝ったり負けたりでちょうど良い関係である。31年間に6回しか勝ってないののどこがちょうど良いのかって?
そりゃあ君、お向かいさんもひとつくらいアナポリス海軍士官学校に勝ったと自慢できるネタがなければその後の人生が辛かろう。


* 酒場で士官候補生が居合わせたジョニー(セントジョンズの生徒のあだ名)に向かって「どんなスポーツだろうとお前らに負ける気がしないから好きな種目選びな」と言ったのが起源という噂だが、まずそんな会話をするとこまで行かないと思うぞ?


華麗なるギャッツビーごっこに興じるクロッケー対抗試合の見物客禁酒法撤廃とは何の事やら ギャッツビーごっこ?

で、少なくともルールだけは飲み込んだその場限りのでっち上げクロッケーチームメンバーが、メスジャケット+エビエイターグラサンや白のスラックスにカーディガンといういかにも英国寄宿舎風の出で立ちで向かうお隣校。あちらの観客も生徒も服装から態度までデカダンなムードでお出迎えして下さる。士官候補生にしてみれば、これほど頑張らなくていい行事も珍しい。相手がウエストポイント陸軍士官学校であれば到底許されないパフォーマンスが期待され、いや、何も期待されていないと言うのが正しい。見物の皆さんもシャンパン飲みつつ踊りまくってらっしゃるし。しかしなんだな、これほどセントジョンズについて長く書かれた記事も珍しいだろう。もしや大学公式サイトよりコンテンツ多いんじゃ?